座席車
座席車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 15:23 UTC 版)
「中華人民共和国の鉄道」の記事における「座席車」の解説
在来線の場合は: 軟座(グリーン車全席指定) 硬座(普通車) 無座(硬座立ち席券 乗車後、空席があれば、軟座、硬臥などに変更可能) 元の北京-天津、上海-南京などの都市間列車は、特等軟座・一等軟座・二等軟座の3等級制の車両がある。都市連絡の任務を動車組列車に譲りの後に、一部は他の線区に転出した。場合により、全て軟座に統一、二等は硬座に格下、または一等・二等のまま使用のケースがある。 動車組列車の場合は: 商務座・観光座(グランクラス) 一等座(グリーン車全席指定) 二等座(普通車) 他に空調設備の有無で料金に格差がある。これは、空調の使用の有無に関係がない。空調車は座席などの設備も良いための運賃差とされているため、春秋などの空調不使用時でも新空調車料金と称する運賃となる。一例をあげると、北京 - 上海間であれば、特快の高級軟臥と普快の硬座では10倍以上もの運賃・料金格差を生じる。
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座席車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 02:23 UTC 版)
ナハ10形 - 三等車 1955年 (1 - 8初代 → 901 - 908, 1 - 114)本系列の基本形式。定員88名で122両製造(試作車900番台8両、量産車114両)。試作車と量産車の相違点は、台車、客用扉、および妻板など。当時、客車の製造は日本車輌と日立製作所が指定メーカーであったが、本形式の試作車に限り、技術習得を目的として、汽車製造と川崎車輌が製造に参加している。 >製造データ、新旧番号対照 ナハ11形 - 三等車 1957年 (1 - 97, 2098 - 2102)室内灯に蛍光灯を採用したナハ10形の近代形。定員88名、102両製造。本形式以降客用扉が鋼製2枚折戸から開閉窓付きの鋼製1枚開戸に変更された。北陸トンネル列車火災事故後、新形車両の難燃化のため、国鉄大宮工場での定置燃焼実験、宮古線・狩勝実験線での走行燃焼実験に使用された。昭和40年には2062, 2075に循環式汚物処理装置が、2072に浄化式汚物処理装置が試験的に設置された。 >製造データ、新旧番号対照 ナハフ10形 - 三等緩急車 1956年 (1 - 48)ナハ10形に対応する緩急車。定員80名、48両が製造された。 >製造データ、新旧番号対照 ナハフ11形 - 三等緩急車 1957年 (1 - 30)ナハ11形に対応する緩急車。定員80名、30両が製造された。 >製造データ、新旧番号対照 ナロ10形 - 特別二等車 1957年 (1 - 33)前年に登場した三等寝台車(後述)に倣って幅2.9 mの広幅・裾絞りの車体で登場した。定員48名、33両製造。車内レイアウトは従来の特別二等車を踏襲しているが、荷棚の下にスポットライト方式の読書灯が設けられた。1967 - 68年にかけてAU13形分散式冷房装置(5台)を搭載し、低屋根化され、また4PQディーゼル発電機セットの搭載で自重が増大し、オロ11形となった。 >ナロ10形製造データ・新旧番号対照 >オロ11形新旧番号対照
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座席車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 22:17 UTC 版)
詳細は「座席車」を参照 座席車は最も基本的な旅客車で、車内に座席を備えているものである。乗客に着席しての旅行を提供するが、通勤用の車両のように定員の過半数が立席の車両であっても座席車の区分に含まれる。 国や鉄道事業者にもよるが、一等車、二等車のように車内の設備によって等級が付けられていることがある。等級の段階数もまた国と鉄道事業者によって様々である。等級に特別な名前が付けられていることもある。等級が上のものから例として示すと、日本のJRにおいては、グリーン車、普通車、韓国の韓国鉄道公社においては特室と一般室、中国の鉄道においては軟座車と硬座車、スペインの鉄道においてはクラブ (CLUB)、プレフェレンテ (PREFERENTE)、ツーリスタ (TURISTA) となっている。さらに等級により列車そのものが異なっていることがあり、例えばペルー・レイルでマチュ・ピチュへ向かう観光列車は、等級が上のものからハイラム・ビンガム号 (Hiram Bingham)、ビスタドーム号 (Vistadome)、バックパッカー号 (Backpacker) となっている。 ヨーロッパでは、一等車が地方の閑散路線や、時には都市の通勤路線にまで連結されていることがある。通勤路線の一等車は二等車と設備的に差がないことがあるが、それでも一等車が設定され利用者があるのは、ヨーロッパの階級社会の伝統に根ざしているとされる。運賃制度上、基本運賃に一等車料金を足すのではなく、二等運賃と一等運賃が別立てになっている場合には、一等の運賃を収受したからには一等車を運行しなければならないという理由もある。さらに、上位の等級に乗車するような階級の人間の居住地・勤務地や官公庁の所在地などを考慮して連結されることもある。 乗降用のドアやトイレ、洗面所などがデッキにあり、壁と扉で客室と区切られている形式と、区切られていない形式がある。前者は特急、急行用などの優等列車を中心に用いられる。 また客室内において、座席同士が特に区切られずに並べられている形式を開放座席車(オープンサルーン)といい、数人用の部屋に区切られている形式をコンパートメントという。オープンサルーンにおいては、中央に通路が設けられて両側に座席が設置される形態が多く、一方コンパートメントにおいては片側に通路が設けられている形態が多い。ただし中央通路で両側にそれぞれコンパートメントが並ぶ形態もある。屋根付き馬車の車体構造に由来する、各コンパートメントに直接外と繋がるドアが取り付けられている車両があり、現在でもイギリスの保存鉄道などで見られる。こうしたドアをスラムドアという。 オープンサルーンでは、さらに座席の配置の仕方に様々な形態がある。詳細は鉄道車両の座席を参照。 座席車には、座席以外に荷物置き場、トイレ、洗面所、乗務員の業務用スペース、身障者スペースなども設置されることがある。
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座席車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:58 UTC 版)
Bpm ドイツ鉄道より購入した簡易寝台車の内装をすべて撤去し、通路を挟んで2+2列のリクライニングシートを配置した車両。各座席には背ずりと一体になった天蓋状のプラスチックの覆いがあり、隣り合う乗客のプライバシーに配慮している。片側のデッキを閉鎖し、窓の交換や屋根上に空気清浄機を取り付けるなどしたため、原型とはイメージが異なる。
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座席車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 18:48 UTC 版)
イ形 米国から輸入した1等車で定員66名。1915年度以降、普通列車の1等車に寝台を備えることになったため、1917年度に5両のうち4両が1・2等合造車へ改造された。残り1両は満洲事変以後に車内が改造され霊柩車として使用された。 イ1形 1等車で定員64名(寝台として32名)。寝台を備えているため、1922年度に5両のうち3両が1等寝台車に記号変更された。 イ2形 定員63名の1等車(寝台として16名)。1917年度に3両、1918年度に2両、1919年度に2両、1920年度に3両が満鉄沙河口工場にて製造された。1922年度に8両が1等寝台1等座席合造車に記号変更された。 イ3形 1922年度に2両が1等寝台車に記号変更された。 イ5形 1922年度に2両が1等寝台1等座席合造車に記号変更された。 1等車(形式不明) 1935年度、特別急行列車用に2両新製。 イロ1形、イロ2形、イロ3形、イロ4形、イロ5形 1・2等合造車。当初は10両在籍。一部が満洲国鉄へ転属し一部が事故廃車となったが、のちに代替用として数両が新製された。 ロ1形、ロ2形、ロ3形 当初は19両在籍。1917年度、一部を3等車に改造。1934年度、特別急行列車用に5両新製。 ロハ1形、ロハ2形、ロハ3形、ロハ5形 1916年度に2等車から2両が、また1918年度に1・2等合造車から5両が改造されて登場した。新製車も2両存在。後に、うち2両が2等食堂合造車へ改造され、6両が満洲国鉄へ転属した。 ハ1形、ハ2形、ハ3形 1907年満鉄営業開始時は、有蓋貨車を改造して3等車に充当した。当初は木製であったが後に鉄骨車も登場。1920年以降は満鉄の工場で鋼製車を新製した。ハ2形の中には台車2組のうち前方1組を撤去してシグイ形蒸気機関車と連結し、蒸気動車ジハ1形として使用された物もある。 ハ5形 1922年に製造開始。日本初の全鋼製客車。テンイ1形と共に大連駅 - 長春駅間の急行列車に投入された。 ハ6形 ハオ1形 客貨混合列車用に使用する3等独立暖房車。冬季は、当機のボイラーで発生した蒸気を客車へ給汽するもので、1923年に3等客車より改造された。その後軽油動車が登場したためボイラーを使用する機会が無くなり、一般の3等車として使用された。 ハテ1形、ハテ2形、ハテ4形、ハテ5形 1912年度汽車会社製の3等手荷物合造車、30両在籍。1916年満鉄の工場で2両を新製。1927年度、3両が手荷物郵便車に改造された。1929 - 1934年度にかけて5両新製。1933年度、1935年度に一部が他社線へ転属。 ハテユ3形 3等手荷物郵便車。
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座席車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 10:14 UTC 版)
500番台 北海道向けに新製、あるいは改造された車両に用いられた。 700番台・800番台 国鉄時代末期に登場したジョイフルトレインに用いられた。基本的に700が欧風、800が和風(お座敷)。 2000番台 国鉄時代、旧形客車や10系客車などに電気暖房装置を設備した車両に用いられた。通常は元の番号に2000を付加して区別する。 ただし、電気暖房装置を設備したことにより重量等級が変更となる場合は、形式自体が変更される(例:オハ36形→スハ40形、オユ36形→スユ37形)。
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座席車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 00:58 UTC 版)
1969年(昭和44年)から、国鉄は波動輸送用として12系客車を製造していた。12系は急行用としたことから座席は向かい合わせの固定式クロスシートであるものの、110km/h運転が可能で冷房装置を完備した唯一の昼行用客車ということもあり、当初は臨時特急列車にも12系を使用していたが、特急料金の割引を行っても利用者の評判は芳しくなかった。また、元特急用で回転式座席を持ち、夜行急行列車の座席指定車などに使用されていたスハ44系も冷房搭載が困難など老朽化、陳腐化が進み取替え時期にさしかかっていた。そこで12系客車の設計を基本とし、183系電車と共通の車内設備をもつ特急形車両として1972年から1974年にかけて新潟鉄工所・富士重工業・日本車輌製造で合計325両が製造されたのが14系座席車である。波動輸送用として増備されたことから、グリーン車・食堂車の製造は計画されず、普通車のみが製造された。車内設備は20系座席車のナハ20形・ナハフ20形・ナハフ21形(いずれも14系座席車登場以前に全車が寝台車に改造済み)に準じているが、20系座席車とは違って売店や車内販売用の基地は設けられず、座席も簡易リクライニングシートとなり、冷房装置は屋根上にAU13A形分散式冷房装置(製造途中から難燃化構造としたAU13AN形に変更)を搭載し、台車はTR217D形を採用した。車体の屋根高さは12系客車よりも10cm低い3,520mmである。また、窓框の高さなど183系電車の普通車とほぼ同一であるが、窓部の側構は同じ特急形でも電車・気動車と異なり内傾しておらず垂直である。また、波動用という事でレジャー客のスキー板やゴルフバッグなどの大型荷物の携行が予想されたため、客室の一端に大型荷物置場を設置した。12系・14系寝台車以外の系列との併結は考慮されず、蒸気暖房管と電気暖房用引通し線は未装備である。
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