1920年度
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1920年度は次の2件が審議された。 5. 大学令ニ依リ明治大学、同志社大学、中央大学、法政大学、日本大学、國學院大學設立認可ノ件 ⇒ 1920年4月1日の総会で提案のとおり可決。 6. 愛知県ニ於テ大学令ニ依リ愛知医科大学設立認可ノ件 ⇒ 1920年5月29日の総会で提案のとおり可決。
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1920年度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 17:13 UTC 版)
1920年(大正9年)5月から9月、沿海州警備に従事、シベリア出兵の支援に用いられた。5月22日小樽を出港、8月26日同地へ帰投した。 9月20日、第5戦隊を外れ、第2艦隊第3戦隊に編入された。 11月5日、大正天皇皇太子(当時19歳。のち昭和天皇)が広島県・大分県を行啓することになり、神戸港で御召艦「伊吹」に乗艦する。供奉艦は軽巡洋艦「球磨」であった。11月6日午後4時20分、「伊吹」は別府港に到着した。11月7日、皇太子は「伊吹」を退艦、九州地方を巡啓した。 11月15日夕刻、皇太子は「清見丸」および駆逐艦「谷風」を乗り継ぎ、部崎泊地(北九州)に停泊中の「伊吹」に乗艦する。11月16日午前8時、艦隊は江田島湾に到着した。皇太子は海軍兵学校に行啓し、在学中の高松宮宣仁親王(皇太子弟宮)、博忠王、朝融王と対面した。翌17日午前7時15分、皇太子は「伊吹」から「球磨」に移乗する。大山祇神社を参拝後、「伊吹」に帰艦した。その後、御召艦「伊吹」は瀬戸内海を航行する。11月19日午前6時45分、「伊吹」は横須賀に入港した。午前9時20分、皇太子は「伊吹」を退艦し、本艦は御召艦任務を終えた。 12月1日第3戦隊を外れた。以降艦隊編入は無い。
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1920年度
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前年に引き続きシベリア出兵の支援に参加した。1920年(大正9年)5月22日小樽を出港しロシア沿岸を航行、7月17日小樽に帰着。7月25日小樽を出港し、10月10日大泊に帰着。10月13日大泊を出港し、10月20日小樽に帰着した。 12月1日、第5戦隊を外れた。以後、艦隊編入(就役)は無い。
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