1920年代恐慌の先端
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:25 UTC 版)
「サラソータ (フロリダ州)」の記事における「1920年代恐慌の先端」の解説
「狂騒の20年代」はサラソータでは早く終わった。世界恐慌に繋がる金融問題に影響されたのは、フロリダが国内でも最初の地域だった。1926年、土地開発投機がフロリダ州東岸の銀行破綻と共に崩壊を始めた。これは国内の大部分よりもかなり早い時期だった。金融危機がフロリダ中に広がった。ジョン・リングリングは当初経済崩壊からも利益を出していた。リングリングは別の計画で会社の金を遣い、共同経営者のオーウェン・バーンズを破産に追い込んだ。その計画も失敗した。後にバーンズからランドマークであるエル・バーノナ・ホテルを、端金で買収した。しかし、ジョン・リングリングもその資産の大半を失った。1929年6月に妻のメイブルが死亡した直後に、その持ち株が下落して逆境が始まった。 市場崩壊の直前にリングリングは他のサーカスを幾つか買収し、それら既存のものと統合して株式市場でその株を売ろうとしていた。市場崩壊でその計画が終わった。リングリングは高価な美術品に投資していたが、バリアー諸島の1つに立てるリッツ・ホテルのような大きな計画が未完成だった。博物館に付属する美術学校の計画は放棄した。サラソータに別の者が立てた美術学校にその名前を使うことは承認したが、渋々だった。 エディス・リングリングなど一家のメンバーを含むサーカスの理事会は、ジョン・リングリングを外し、サムエル・ガンパーツを役員に据えた。ジョン・リングリングは1936年に死去する時までに、破産に近い状態になっていた。その資産は美術品コレクションと共に州に遺贈していたので救われ、破産になる直前に死亡した。資産に関する写真が博物館に残っており、その死亡時に残っていた銀行預金が400ドルに過ぎなかったことが分かる。甥のジョン・リングリング・ノースが、その資産が失われないよう長年苦闘した。
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