1920年代以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 00:57 UTC 版)
「アルゼンチン・タンゴ」の記事における「1920年代以降」の解説
この時期、オデオン社は「五大楽団」を構えていた。フィルポ、カナロ、カロー、ロムート、フレセドの各楽団は次々とSP盤に吹き込んでは片っ端から音源化を行っていった。その一方でビクター社はオデオン社では抱えることの難しい若手を次々とスカウトした。その典型例がオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルだが、若手ばかりをかこっていたのではなく、フリオ・ポジェーロ楽団やファン・ギド楽団、マフィア=ラウレンス・バンドネオンデュオなど、古典タンゴの名手もビクター79000番台に録音を行い続けている。この時期のタンゴの録音の海賊版は2010年代になってもリリースが相次いでおり、いまだに聴取者の層が薄くならない。クラシックピアノをフェルッチョ・ブゾーニに師事しながら廃業し、タンゴに転身したアドルフォ・カラベリの耳が、いい加減な録音を逃さず光っていたという説もある。32分音符のバリアシオンでタンゴの終止に向かう様式が確立されたのは1920年代末期と推定されている。 1930年代に入ると、和声や対位法やテクスチュアといった点に1920年代の伝統を打破する兆しが見え隠れするようになる。1920年までに活躍した楽団の差異を聞き取ることはかなり難しいが、20年代末期から30年代に入ると録音技術を利用したエフェクトが次々と入ってくるようになり、どの楽団が演奏しているのかが明瞭になってくる。この変化が明瞭に表れているのがファン・ギド楽団である。テンポの遅さを維持していた1920年代に低迷していたのが、のちの巨匠ファン・ダリエンソである。カルロス・ガルデルがウルグアイに産み落とされた私生児であったことから、ウルグアイとアルゼンチンの文化対立はすでにこの時から始まっており、「ウルグアイ・タンゴ」と「アルゼンチン・タンゴ」を区別するべきという強硬派まで生まれている。 1920-30年代はSP蓄音機と音盤を入手できる一部の富裕層が「日本第一次タンゴブーム」を支えていたが、第2次世界大戦の勃発とともに「フランシスコ・ロムートのヌンカ・マスを死ぬ前に一回だけ聞かせてくれと頼んだ後に赤紙を受けた」人物や、「家が蓄音機もろとも爆撃で破壊された」人物とともにそのブームは終わった。
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