アルゼンチン・タンゴとは?

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アルゼンチン・タンゴ[Argentine tango]


アルゼンチン・タンゴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/01 16:36 UTC 版)

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アルゼンチン・タンゴを踊るカップル

アルゼンチン・タンゴラプラタ川流域近辺[1]で演奏されるタンゴの一伝統様式を指す言葉である。

成立

もともとタンゴは四分音符と八分音符で構成されるリズム・パターンの一つであった。起源は1880年ごろと言われているが確実な証拠はない。これにヴァルスミロンガカンドンベフォックストロットなどのパターンも取り込み、ピアノバンドネオンヴァイオリンコントラバスの編成で楽団が組織されるようになって、タンゴはパターンからジャンルへ進化したと考えられている。

歴史

1900年代以降

タンゴの編成に固定されたものは全くなく、フルートヴァイオリンギタロン[2]バンドネオンという編成をとっていたのもファン・マグリオ[3]だが、当時の録音技術は劣悪でフルートは蚊が飛んでいるほどの音でしか取れなかった。このためフルートは早い段階で除去され、ギタロンではなくピアノ[4]に取って代わられた。またタンゴの速度も一定ではなく、ロベルト・フィルポ楽団は妙に速い吹き込みを行っている。このころの楽団は消滅したものも多く、ほとんどデータの残っていないオルケスタ・ティピカ・テレ-フォンのようなケースも多い。吹奏楽のタンゴというtubatangoといったものさえあった。Antología del tango rioplatense. Vol. 1[5]では1907年から1920年までにはピアノロール、バレルオルガン、ヴァイオリンとマンドリンとギター、など様々な編成が試行されていた。Alonso-Minottoも採用しているテンポはかなり速いが、Duardo Arolasは倍近く遅くなるなど楽団によってテンポの増減が相当大きい。この時期はモダンタンゴで定番となった32分音符のバリアシオンはまだ表れていない。

1920年代以降

この時期、オデオン社は「五大楽団」を構えていた。フィルポ、カナロ、カロー、ロムート、フレセドの各楽団は次々とSP盤に吹き込んでは片っ端から音源化を行っていった。その一方でビクター社はオデオン社では抱えることの難しい若手を次々とスカウト[6]した。その典型例がオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルだが、若手ばかりをかこっていたのではなく、フリオ・ポジェーロ楽団やファン・ギド楽団、マフィア=ラウレンス・バンドネオンデュオなど、古典タンゴの名手もビクター79000番台に録音を行い続けている。この時期のタンゴの録音の海賊版は2010年代になってもリリースが相次いでおり、いまだに聴取者の層が薄くならない。クラシックピアノをフェルッチョ・ブゾーニに師事しながら廃業し、タンゴに転身したアドルフォ・カラベリの耳が、いい加減な録音を逃さず光っていたという説もある。32分音符のバリアシオンでタンゴの終止に向かう様式が確立されたのは1920年代末期と推定されている。[7]

1930年代に入ると、和声や対位法やテクスチュアといった点に1920年代の伝統を打破する兆しが見え隠れするようになる。1920年までに活躍した楽団の差異を聞き取ることはかなり難しいが、20年代末期から30年代に入ると録音技術を利用したエフェクト[8]が次々と入ってくるようになり、どの楽団が演奏しているのかが明瞭になってくる。この変化が明瞭に表れているのがファン・ギド楽団である。テンポの遅さを維持していた1920年代に低迷していたのが、のちの巨匠ファン・ダリエンソである。カルロス・ガルデルがウルグアイに産み落とされた私生児であったことから、ウルグアイとアルゼンチンの文化対立はすでにこの時から始まっており、「ウルグアイ・タンゴ」と「アルゼンチン・タンゴ」を区別するべきという強硬派まで生まれている。

1920-30年代はSP蓄音機と音盤を入手できる一部の富裕層が「日本第一次タンゴブーム」を支えていたが、第2次世界大戦の勃発とともに「フランシスコ・ロムートのヌンカ・マスを死ぬ前に一回だけ聞かせてくれと頼んだ後に赤紙を受けた」人物や、「家が蓄音機もろとも爆撃で破壊された」人物とともにそのブームは終わった。

1940年代以降

アルフレド・ゴビフリオ・デ・カロカルロス・ディ・サルリに代表されるモダン・タンゴの時代が幕を開くことになる。伝統タンゴによって守られていたスピードは急激に上げられ、その限界に挑戦するファン・ダリエンソスタイルが一世を風靡する。この時代を決定づけるものは、録音技術の向上を意識した音楽様式の変化である。音色が立体的に造形されていることをレコードが初めてとらえるようになり、「極端なまでのレガートとスタッカート(Di Sarli)」・「リズムパターンの鋭い交代(De Caro)」・「楽器編成の拡張(Canaro)」・「ジャズのテンションコードの導入(Francini=Pontier)」、「楽器編成または音色の対比(Gobbi)」など、次々と新発明を施してはタンゴのイディオムを広げていった。この時期は競争が最も激しく、どこかの楽団に入っては出るを繰り返すといったメンバーも相当数に上っており、ダリエンソに至ってはダリエンソ以外全員脱退という事件も起こしている。ただし、このような楽団のメンバーの著しい変更こそがモダン・タンゴの起爆剤になったことは否定できず、このころ裏方の編曲に回って腕を磨いたのがオラシオ・サルガンである。タンゴに電子機器を用いることを決断したのがフランシスコ・カナロであり、カナロがハモンドオルガンを操っているジャケットや電子楽器を使ったと思われるテイクも存在する。

1944年にはオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルが活動を終了し、古典タンゴの時代は終わったとまで称された。1950年代に入るとかつてのスペイン来訪で知られた国・日本が戦時統制の枷から抜け出し、自前のタンゴ楽団を抱え、タンゴ番組がラジオでかかり続けるという爆発的な流行を迎えた。演奏家の質も向上し、「オルケスタ・ティピカ・東京」・「坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ[9]」は人気を博し、「オルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ[10]」は現地民の要求に合わせたアレンジ[11]が高い人気を国外でも誇った。彼らはタンゴの衰退期に入った1960年代に入っても活動をつづけ、あまりの出演過多に悩んだ坂本政一は日本へ帰国してタンゴ低迷期には忘れ去られたが、早川真平はそうなることを免れた。

この時期に入るとアコーディオンは完全に除去され[12]バンドネオンにとって代わるようになった。トロイロ=グレラ四重奏団は単なる偶然からできたバンドネオンソロ、ギタロン、ギター、コントラバスという編成[13]だが、ギターのタンゴ演奏の復活に大きく寄与した。もともとタンゴの終止にルールのようなものはなかったが、ダリエンソは音を丸々カット、プグリエーセは終止の前拍の強調、デ・カロはACCELを加えたそっけない打ち方、など各楽団ごとに個性がみられるようになる。ディ・サルリが1960年に死去したことで、タンゴの黄金期は終わりを迎えた。1950年代の「日本第二次タンゴブーム」もNHKのラジオ番組の打ち切りとともに終わった。

1960年代以降

プレスリービートルズをポルテニアっ子が聞き出すようになると、タンゴの人気は激減する。この時期をタンゴ低迷期と呼ぶが、トロイロやプグリエーセ、ポンティエルの各楽団は録音点数をそれなりに残している。しかし、これらを「過度期のタンゴ」と呼んで敬遠するファンも多い。この時期に最も名をあげたのがアストル・ピアソラであり、彼は70-80年代に入っても人気が衰えなかった一方で、反ピアソラ派の攻撃の対象にもなっていた。タンゴアルバムのパーソナリティ岡田寛[14]によると、日本ではほとんどが反ピアソラ派でほとんどの識者が固まっていたにもかかわらず、現地の人間は「これからはもうアストル・ピアソラだよ」と平然と答えていたことに衝撃を受けたらしい。SP時代のタンゴをLPに復刻してよい音で聞きたいという願望が強まったのもこの時期で、ファン・ダリエンソ楽団は新録に加えて旧録を売れるほどの需要があった。

この時期はフランシスコ・カナロのただ一度だけの来日公演が知られているほか、オスヴァルド・プグリエーセ楽団も初来日を果たしている。LP時代のアニバル・トロイロはSP時代のトロイロとは打って変わって歌手やピアノに名人芸を施すようになり、録音技術の精度の高さとともに過度期タンゴの折衷的な特徴を見事に表している。かつては人気のあったアルフレド・デ・アンジェリス楽団はこの時代の変化についていけず、録音点数が激減している。オラシオ・サルガンピアノヴァイオリンコントラバスバンドネオンエレキギターの五重奏に改組した「キンテート・レアル」の日本公演やそれに伴うスタジオ録音は、過度期タンゴではあるが前衛的な視点を失わなかった稀有な例として知られる。メンバー間の音の混濁を嫌ったサルガンならではの生存策であった。この時期の最後に、近代和声とリズムの探求を極限まで突き詰めた前衛タンゴの雄エドゥアルド・ロビーラが55歳で亡くなった。

日本国内においては、1970年から民音が「民音タンゴ・シリーズ」をスタートし、毎年タンゴのアーティストを招聘する興業が行われるようになった。同シリーズは2019年にシリーズ50回にも及び、ロングランの公演となっている。

1980年代以降

ヨーロッパ・タンゴではなく、アルゼンチン・タンゴの世界へ他国から転身してまでタンゴを求める人種が北米やロシア、ヨーロッパにまで及ぶようになり、その内北米に至っては「アメリカン・タンゴ」、フィンランドに至っては「フィニッシュ・タンゴ」と呼んで差支えのない編成が次々と出現した。これらはアルゼンチンになかったトロンボーンを入れた編成、古典的なピアノトリオ、などアルゼンチン人のパレットになかった編成でアルゼンチン・タンゴの本質に迫る試みを打ち出しており、近年注目されている。1992年にピアソラが没するとどこのCDショップでもピアソラがかかりギドン・クレーメルのアルバムが世界的な大ヒットになるなど、一時的にはピアソラブームを生み出した。また、イヴァ・ミカショフは世界の作曲家へタンゴを委嘱するプロジェクトを実現、タンゴ復興がアルゼンチン人の目論見とは明後日の方向で実現する珍現象が見られた。アルゼンチンもタンゴの電子化には逆らえず、現場で演奏されるタンゴも何らかの形で電子機器を使っていることはもう珍しくなくなった。

日本もタンゴ音楽家の二世が出現するようになるなど音楽家の質の向上には問題がないものの、日本タンゴアカデミーなどアルゼンチン・タンゴを取り囲む環境は少子高齢化による音源や資料他のアーカイブの散逸が危惧されるようになった。また、SP盤の著作権問題[15]も深刻になっており、当の発売会社が版権に無頓着な理由で海賊版が出回る事態は改善されていない。タンゴは亡くなった音楽家・早世してしまった人物も多く、最も海賊版問題が解決していないジャンルの一つである。これはクラシック現代音楽の世界が常にメジャーレーベルが監視している環境と比べ対照的である。その代わり、熱心なファンやコレクターの手でディスコグラフィーや音盤リストが整備されるなど、熱狂的な信者が絶えることがないという点において、即廃盤になったのち誰も復刻できない現代音楽の世界とは逆の状況である。

1990年代は小松亮太やロベルト杉浦などの高レヴェルの日本人演奏家の時代が再び帰ってきたことも含めて、ヨーロッパタンゴではなく「アルゼンチン・タンゴ」にようやく風がまた吹き出した印象があったものの、J-POPの氾濫には勝てず在京FMのオンエアには厳しい時代であった。この逆境は2000年代に入るとコミュニティFMへのスポンサーの支援で、若干の好転が見られる。

2000年代以降

2016年にルイス・スタソ、マリアーノ・モーレス、フアン・カルロス・カビエージョとオラシオ・サルガンが亡くなり、タンゴ黄金期を率いた人物はすべてこの世を去った。にもかかわらず、商業的に成功するのかしないのかといった問題を除けば、タンゴは決して衰えてはおらず、黎明期にまで典拠を求めた楽団までが数百もひしめいており、その混迷はとくにヨーロッパで顕著である。日本ではダリエンソ・スタイル、プグリエーセ・スタイルなどかつて昭和の時代に来日を果たしたスタイルの後継者が好まれるようだが、世界的にはそうとは言えない。2010年代は国際的にファンの交流が進んでいるなど、横のネットワークの整備も進んでいる[16]

Club Tango Argentino、La Asociación De La Musica Porteña、Disco Latinaなどによる有志の善意による復刻で多くのアルゼンチン・タンゴのCDが販売されたのが、この2000年代である。すでにアルゼンチン・タンゴを良い音で復刻する作業は1980年代からあったが、CD一枚の値段が暴落した「ゼロ年代」に入ってその復刻作業はペースを上げた。現在はゴビ、プグリエーセ、トロイロ、ラウレンスほかの全集がbuenos aires tango clubから通販で入手可能であるほか、AmazonミュージックやSpotifyでもかなりのCDが収録されている。2010年代にはかはんのこまちタンゴ(エフエム椿台)やブエノスディアス、タンゴでおはよう(CTY-FM)、レコードエイジの贈り物・SPアワー(FMいるか)などのタンゴ専門・紹介番組がたとえコミュニティFMという狭い枠であっても、インターネット通信によって改めて注目されているほか、ラジオ関西のオールディーズセレクションにもアルゼンチン・タンゴがピックアップされた。また、昭和30年代から聞き込んだ聴取者の根強い支持による各種Webサイト、西村秀人によるNHK公開講座ほかが話題となっている。La Asociación De La Musica Porteñaの設立人はすでに亡くなっており、Club Tango Argentinoの設立人も病気療養のためディスク制作は中断されている。

「2010年代の日本第3次タンゴブーム」を提唱するものも増えており、それを裏付けるように2011年5月3日にはNHK-FMで「今日は一日タンゴ三昧」、2017年11月17日にはNHKラジオ深夜便で「ロマンチックコンサート ポピュラー名曲アルバム:タンゴ名曲集」、2019年1月26日にもNHKラジオ深夜便で「ロマンチックコンサート リラックス・サウンズ~アルフレッド・ハウゼ作品集[17]」が放送された。ジャック・パウエル指揮アルフレッド・ハウゼによるミリタリー・タンゴの演奏で開始される「キユーピー・メロディーホリデー」の中でもブルー・タンゴ[18]が選曲、またヤミと帽子と本の旅人シムーン冴えない彼女の育てかたのBGMにおいてもタンゴ調の楽曲が要求されるなど、かつてのオールドファンの思惑通りではないにせよ受容が静かに広がっている。背すじをピン!と〜鹿高競技ダンス部へようこそ〜の連載期間が第3次日本タンゴブームの隆盛、およびDJ BalaszのDanceable Tangos of the Yearと一致するのは、象徴的な出来事であった。

日本では自作のタンゴを披露する伝統も細々と生き残っており、稀にCD収録がなされる場合もある。華やかなオルケスタ・ティピカを結成できる金銭的余裕はなくなってしまったが、タンゴはコントラバス・ピアノ・バンドネオンの三人が揃えば古典曲は演奏できるため、この種の小編成も確実に根付いてきている。

アルゼンチン・タンゴ専門ラジオ番組タンゴアルバムが2017年10月29日に終了し、AM局のタンゴ専門番組は日本ではすべて終了した。

2020年代以降

脚注

  1. ^ 厳密にはアルゼンチンウルグアイ。両者の対立が激しくウルグアイ人を一切含めないという手厳しい論者もいるが、便宜上地理的な分類を採用している。
  2. ^ ギタロンは21世紀を迎えた現在も使用されている。外部リンク
  3. ^ トロイロ=グレラ四重奏団のチューニングはAまで下降できず、急に音域が上がる編曲になっているが同じ楽器である。
  4. ^ 当時のアルゼンチンではよいピアノがほとんど輸入されておらず、音量の問題は解決したが、調律という問題はなかなか厄介で、音が狂ったままのピアノで録音というケースも少なくなかった。
  5. ^ Instituto Nacional de Musicologia "Carlos Vega"
  6. ^ DISCO LATINAビクトルの楽団第一集のライナーノートから。DL104
  7. ^ カジェタノ・プグリッシのラ・クンパルシータの演奏が1929年である。
  8. ^ 典型的なものはバンドネオン二重奏によるエピソード
  9. ^ 当時の広告には、タンゴをポルテニヤ音楽と記されているものもある。
  10. ^ オルケスタ・ティピカ・ポルテニアの表記も見られる
  11. ^ 同名の楽団がすでにヴィクトル社にあったため改名を要求され、「オルケスタ・フジヤマ」・「オルケスタ・サカモト」として華々しく現地デビューを飾った。
  12. ^ それまではアコーディオンとバンドネオンがEdgardo Donato,El adiós(1938)のように共存することもあった。
  13. ^ コントラバスが除去されたバンドネオンソロ、ギタロン、ギターというトリオ編成も好まれた。
  14. ^ 公式サイト内の文章を参照
  15. ^ 1923年以前のSP盤については問題がないものの、それ以降に発売されたアルバムについては親会社が金属原盤を廃棄するなどの不手際のせいで、SPコレクターが有志で復刻するという手作業が現在も行われている。またアルゼンチンは日本と同様にカセットテープのリリースという形態もあり、音質は劣悪だが貴重な記録もある。
  16. ^ 外部リンク内の記事を参照
  17. ^ ラジオ深夜便 桜井洋子”. www2.nhk.or.jp (2019年1月26日). 2019年1月26日閲覧。
  18. ^ 外部リンク 2013年5月1日 19:17:00 UTC閲覧

参考文献

  • タンゴ入門 (1965年) -大岩 祥浩 (著), 島崎 長次郎 (著), 中島 栄司 (著), 出版社: 音楽之友社 (1965) ASIN: B000JADJPO
  • タンゴ100年史 (1980年) - 高場 将美 (著), カラ・プランニング (編集) ASIN: B00QTZO5GU
  • 改訂版 アルゼンチンタンゴ アーティストとそのレコード (1990年) 大岩 祥浩 (著) ISBN 978-4943959175

関連文献

  • Fernando O. Assunção; El Tango y sus Circunstancias. El Ateneo 1984, ISBN 950-02-8366-2.
  • Andrés M. Carretero; El Compadrito y el Tango. Ediciones Pampa y Ciel, 1964.
  • Barreiro, Javier (1985); El tango. Gijón: Júcar. ISBN 84-334-2064-X.
  • Bottomer, Paul (1999); Tango. Madrid: Susaeta.
  • Cadícamo, Enrique (1973); Café de camareras. Buenos Aires: Sudamericana.
  • Ferrer, Horacio (1980); Libro del tango: arte popular de Buenos Aires (3 tomos). Buenos Aires: Antonio Tersol.
  • Hidalgo Huerta, Manuel (2001); Tango. Biblioteca Nueva. ISBN 84-7030-987-0.
  • Judkovski, José (1998); El tango. Una historia con judíos. Buenos Aires: Fundación IWO. ISBN 987-96990-0-9.
  • Varios (1976-2011); Historia del tango (21 tomos). coord. Martini Real, Juan Carlos. Buenos Aires: Corregidor. ISBN 9789500519472.
  • Nudler, Julio (1998); Tango judío (del ghetto a la milonga). Buenos Aires: Sudamericana. ISBN 950-07-1498-1.
  • Vicente Rossi; Cosas de Negros. Editorial Aguilar, 1926, ISBN 950-511-699-3.
  • Noemí Ulla; Tango, Rebelión y Nostalgia. Centro Editor de America Latina 1982, ISBN 950-25-0632-4.
  • Vidart, Daniel (1964); Teoría del tango. Montevideo: Banda Oriental.
  • Vidart, Daniel (1964); El Tango y su Mundo. Ediciones Tauro S.R.L., 1967.
  • Tomás de Lara, Inés L.R. de Panti; El Tema del tango en la Literatura argentina. Ediciones Culturales Argentinas 1981.
  • Horacio Salas; El Tango. 3. Auflage. Editorial Planeta Argentina 1989, ISBN 950-37-0219-4 (Übers. s.o.)
  • Hugo Lamas, Enrique Binda; El Tango en la Sociedad Porteña 1880–1920. Editorial Lucci, 1998, ISBN 950-99589-1-3.
  • Sergio Pujol; Historia del Baile – de la Milonga a la Disco. EMECÉ Editores, 1999, ISBN 950-04-2064-3.
  • Nicole Nau-Klapwijk; Tango, un baile bien porteño. editorial Corregidor, Buenos Aires, ISBN 950-05-1311-0.
  • Raul Outeda; La Historia De 500 Tangos, ISBN 978-9500510363
  • Raul Outeda and Roberto Cassinelli; Anuario del Tango, ISBN 978-9500510950

関連項目

  • アメリカン・タンゴ
  • コンチネンタル・タンゴ
  • フィニッシュ・タンゴ
  • 民音タンゴ・シリーズ - 1970年から日本国内で毎年ツアーを行っている

外部リンク


タンゴ

(アルゼンチン・タンゴ から転送)

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街頭でのタンゴ舞踊
街頭でのタンゴ舞踊
屋内でのタンゴ舞踊

タンゴ18世紀後半にイベリア半島で発祥した舞曲のリズム。19世紀後半南米にこのダンスパターンが輸出され、アルゼンチンブエノスアイレスまたはウルグアイモンテビデオダンススポットのために考案された一ジャンルも指す。

目次

歴史

タンゴが生まれた経緯は不明だが、18世紀の後半にtangoと記された手稿譜が見つかっており、盛んにイベリア半島で踊られていた。その後スペイン植民地帝国政策の一環としてラプラタ河口の人々にこのダンスパターンが伝わると、1880年にはすでに出版譜が見つかっており、1900年以降にバンドネオン、フルートなどの混合されたアンサンブルを伴ったダンススポットが強烈に流行した。[1]ポピュラー音楽およびダンスの一形態[2]で、カンドンベミロンガハバネラなど複数の音楽が混ざり合って19世紀半ばにブエノスアイレスモンテビデオ近辺のラ・プラタ川流域で生まれた。

日本では、タンゴがヨーロッパに渡って変化したものをコンチネンタル・タンゴ[3]ないし「ヨーロッパ・タンゴ」[4]と呼び、それに対して元来のものをアルゼンチン・タンゴと呼んで区別することが多い。日本でのタンゴの普及は、昭和初期から戦前までにアルゼンチンから一部移入がされたものの、その後戦後にかけて移入したのは、むしろヨーロッパからムード音楽の一環としてのそれであり、いわゆる「コンチネンタル・タンゴ」の類であった。すなわち、競技ダンス社交ダンス[5]で用いられる1ジャンルのタンゴのための舞踊音楽であった。よって、長らくタンゴと言えばマランド、アルフレッド・ハウゼといったイメージで、多くの場合理解されていた。しかし1960年代からはオスヴァルド・プグリエーセフランシスコ・カナロなどの大御所たちもこぞって来日を果たしており、一部の聴衆から熱狂的な支持を生んだ。ただ、楽器の習得や様式の完成に非常に時間がかかり、専門的な教育機関も存在しない日本で学習するのは非常に困難なジャンルという認識もあった。

いったん上記の競技ダンス社交ダンスが一般的には下火になっていた1980年代後半、米国で成功した「タンゴ・アルヘンティーノ」公演が日本にも移入し、これ以降、アルゼンチン・タンゴが普及するようになった。現在は鬼怒無月のように調性を廃したタンゴ・アヴァンギャルド、エレクトロニクスをフル活用したタンゴ・エレクトロニコなどの新たな可能性が日々探られている。インターネットラジオも、アルゼンチンではない国からアルゼンチン・タンゴが24時間流れ続ける例[6]が存在するなど、新しい聴取者層を獲得している。近年は日本のみならず韓国や台湾などもタンゴの音楽家が続々と増えており、技術的に本場とほぼ変わらないレヴェルのテイクも珍しくない。

拍節

二拍子系

  • 全般的に鋭いスタカートを多用する。2/4拍子ないし4/8拍子で、後年4/4拍子でも書かれる。以下4/4拍子で説明する。
  • 強靱なリズム体の上に、ロマンティックな、時としてメランコリックな主旋律が泣くのがタンゴの魅力である。
  • 要求されるリズムパターンはTango、Milonga、Habanera、Candombe(少数)、FoxTrot(稀)、の五つである。

三拍子系

  • フランシスコ・カナロやオラシオ・サルガン[9]の楽団には三拍子系の作品のテイクも見られる。
  • 要求されるリズムパターンはValsである。

速度

奏法

弦楽器の騒音的奏法[10]、ヴァイオリン群による集団グリッサンド[11]、バンドネオン本体への打撃、コントラバスのコルレーニョバトゥット[12]、ピアノとバンドネオンのトーンクラスター[13]が典型例だがピアノの内部奏法はタンゴ・アヴァンギャルドを除いて行われることがない。

演奏形態

アルゼンチン・タンゴ

バンドネオンが用いられることが特徴である。また、非常に鋭いスタカートでリズムを刻むにも関わらず打楽器を欠く。オルケスタティピカ[14]に始まりキンテート[15]を通過し、現在はこの枠ではくくれない編成も多い。またバンドネオンなしのピアノと弦のみの演奏もある。ギターの伴奏と歌によるタンゴも、カルロス・ガルデルらが録音を残し高く評価されている。[16]アストル・ピアソラの作品のように、クラシック音楽の演奏家によりクラシック音楽のスタイルで演奏されるものもある。特に、1950年代後半頃からアコースティックギターなども使われるようになってきた。

少しでも伝統を外すと「タンゴのイメージに合わない」・「アルゼンチン・タンゴを騙っているだけ」という苦情が寄せられることも多く、ウルグアイアルゼンチンですら激しい対立があることで有名だが、多種多様な実験が多くの聴衆に受け入れられてきたことも事実なのである。

コンチネンタル・タンゴ

楽器編成は通常のポピュラー音楽での管弦楽編成に近い。ムード音楽的演奏から、マランドのように歯切れの良いリズムを重視したアルゼンチンスタイルに近い演奏までさまざまである。一般的にはアコーディオンが用いられるため、バンドネオンの鋭いスタッカートではなく、オーケストラの分厚いくぐもったスタッカートが多い。

アメリカン・タンゴ

小編成が圧倒的に多い。アルゼンチン・タンゴの中になかった楽器[17]も積極的に取り入れられており、なおかつコンチネンタル・タンゴのような妥協を行わない点が特徴。

ジャパニーズ・タンゴ

かつてはオルケスタ・ティピカ・東京、坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤのようなオルケスタ・ティピカを組織するのが一般的であったが、1970年代の低迷期に入ってからは小編成が有力となった。アルフレッド・ハウゼ楽団のようなコンチネンタル・タンゴの人気も日本ではかなりある。1990年代は日本でもアストル・ピアソラが人気を博したこともあり、ピアソラ・スタイルを表面的に模倣した楽団も見られた。1970年から毎年必ず行われる民音タンゴ・シリーズが有名で、同シリーズは2019年時点で50回を重ねている。

かつてのジャパニーズ・タンゴとは「法被を着てバンドネオンを弾き、着物を着て歌を歌い、LPジャケットには富士山が描かれる」といったステレオタイプなもの[18]を指していた。2010年代は、このようなスタイルを日本人がとることは最早ない。

日本は1940年代に戦争の影響で音楽活動が制限されたために、「1940年代こそアルゼンチン・タンゴの全盛期であった」とする現地民と意見が食い違うタンゴ・ファンは今もなお1910-30年代生まれの日本人に多い。日本人にとってのタンゴの黄金期は1920年代末期を完璧に演じきったオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルで知られる1927年前後、日本のタンゴ楽団の活動と活発なAM放送による啓蒙で知られる1954年前後、そしてインターネットによる新たなファン獲得に成功した2010年代[19]を印象に残る日本にとっての黄金期と捉える人物が多い。

フィニッシュ・タンゴ

1910年代からタンゴ演奏が始まったため、日本より伝統がある。アコーディオンが使われるためコンチネンタル・タンゴに分類する評論家もいる。しかし、「短調にこだわり哀調を込める」ことが必須になっているため、コンチネンタル・タンゴの朗らかさとは一線を画しているのが特徴。現在はアストル・ピアソラ国際演奏コンクールの優勝者も輩出するなど、演奏水準の高さには定評がある。毎年必ず行われるTangomarkkinatが有名。

演奏解釈

タンゴでは、作曲者の作ったメロディーは大切にされるものの、演奏する楽団の編曲により、新たな旋律や副旋律がつけられたり、変奏 variación がつけられたりすることが当然のようになっている。

たとえば、ラ・クンパルシータは、ヘラルド・マトス・ロドリゲスの作曲したメロディーの他に、ロベルト・フィルポが付け加えた中間部が好評を呼び、著名度が高いタンゴとなった。

タンゴについては、やはり演奏する楽団の編曲の良し悪しが、聴いている聴衆の満足度につながるものとされる。これはバッハのコラール編曲と事情が似ており、コラール原曲より付された対旋律のほうが有名、といった古事を継承している。

なお、楽譜からはずれる即興演奏は、避けられる方向であったが、アストル・ピアソラのように即興演奏を好むタンゴ演奏家もいる。ピアソラは徹底的に「書き譜」を売ることで顰蹙を買ったが、タンゴ楽団の譜面には自分たちの芸風を示したメモは一切書かないのが本当は主流で、伝統的にはすべて演奏様式は口承である。

アストル・ピアソラやそれ以降の楽団のモダンタンゴの解釈については、古くからのタンゴ愛好家で違和感を覚えるような声が多くあった。これは、ジャズやジプシー楽団から引き抜かれた人物が独自の癖を披露したからである。その一方で、そのモダンタンゴに感銘を覚えるタイプのタンゴ愛好家も増えてきている。21世紀に入ると、古典またはアルカイックタンゴ専門の楽団も出現している。

歌唱

タンゴの歌詞のスペイン語

タンゴの曲の多くには、スペイン語リオプラテンセ・スペイン語)の歌詞がついているが、"La última curda" (最後の酔い) の "curda"(酔い) のようにブエノスアイレス地方の俗語である ルンファルド (lunfardo) がよく用いられる。日本の西和辞典で引きづらいこともしばしばである。

また、vos (あんた,túに相当する) およびそれに相当するという南米の言い回しボセオ(voseo) が出てくることもある。

¡Volvé! - 戻ってきて!
¡Ya sé, no me digás! ¡Tenés razón! - 分かったから、俺に言うなよ!その通りだ! …… 意訳「最後の酔い」から

ボセオについては、日本の西和辞典では、具体的な活用形ですらも取り上げられているとはいえない状態である。英語の voseo や、その他のサイトで調べるしかない。

ひとつのタンゴに、違った複数の歌詞がつけられる

ラ・クンパルシータのように、ひとつのタンゴの曲に、違った複数の歌詞が付けられることがある。

よく知られた例 ラ・クンパルシータ エル・チョクロ フェリシア

作詞者に敬意が示されている

タンゴの歌詞について、カミニート Camnito の ガビノ・コリア・ペニャロサ Gabino Coria Peñaloza や、 スール Sur の オメロ・マンシ Homero Manzi のように、作者に敬意が表される場合も少なくない。歌詞が文学的なタンゴは歌がつけられた演奏になる傾向にある。地名・招聘した人物への敬意が示されていることもある(輝ける東京)。

またラ・ファン・ダリエンソやコロール・タンゴのような先人の発明を継承した「後継楽団」が多いのもタンゴの特徴で、メンバー紹介には誰から後継を行ったのかが丁寧に書かれていることがある。

歌詞なし演奏も当たり前

歌詞なしで演奏されることも、ごく普通である。フェリシアパリのカナロ のように、歌詞なし演奏がほとんどの曲もある。

また、レスポンソや、タンゴ 「とろ火で」 のように歌詞がつけられていない場合もある。

スペイン語以外の歌詞がつけられているタンゴ

原曲にスペイン語の歌詞がつけられているタンゴに、別の言語の歌詞がつけられる場合もある。エル・チョクロ El choclo が、キッス・オブ・ファイア Kiss of Fire として、英語の歌詞がついて、アメリカで歌われヒットした。

日本では、菅原洋一第31回NHK紅白歌合戦で、ラ・クンパルシータを日本語の歌詞で歌っている。冴木杏奈が着物姿で、カミニートを歌っている映像が YouTube で、アップロードされてある。淡谷のり子も、日本語の歌詞で、ラ・クンパルシータジーラ・ジーラを歌っていた。

原語がスペイン語でない歌が、タンゴとして演奏される場合もある。コンチネンタル・タンゴの歌が、そうなる。シャンソンでは、小雨降る径 "Il pleut sur la route" と、恋心 "L'amour, c'est pour rien" が、タンゴとして演奏される場合もある。ファン・ダリエンソ楽団はサービスと称してスペイン語で原曲を歌わせ、そのまま日本語の訳詞で歌わせる、ということも行わせた。

ファンサービスとしてファン・ダリエンソ楽団は「スペイン語の歌詞の音楽は日本語でも歌えます!」という妙な主張を行い、強引に翻訳された歌詞を専属歌手が歌っていた。この録音は実在する。[20]

メドレー

複数の作品のサビを数曲ほど接合させる例(トロイロ)もある。これは先人への敬意が込められる。このような形態では歌手は歌わない。

和声法の禁則も守られない

「主旋律がアルペジオのような動きをするのはやめましょう」というのが四声和声法の鉄則だが、古典タンゴの代表作「フェリシア」のように、最初からメロディーがアルペジョで動くことも普通に行われる。アルフレド・デ・アンジェリス楽団はベースや中声部のバンドネオンがアルペジョで動くこともある珍しい集団である。

モダンタンゴの時代に入ると近代和声の影響を徐々に受けて減ったが、それでもバンドネオンセクションは依然として平行進行が好まれる。またファン・ダリエンソ楽団の「Sentimento Gaucho」に至ってはメロディーとベースがサビで有名な連続8度を行うなど、西洋楽器を使いつつ西洋音楽の規則では説明のつかないことが頻発する。

ミスを修正あるいは編曲しなおす楽団も数多く、オスバルド・プグリエーセ楽団やエドゥアルド・ロビーラはバンドネオンの左手や弦楽セクションを用いて対位法的な趣味を前面に打ち出しており、この点に気が付いていたようである。タンゴ黎明期から黄金期にかけての、この手の和声法と対位法の「誤用」はどこからどこまでがミスなのか[21]が判明しておらず、今後の研究が待たれる。

このため、器楽では楽でも声楽では厳しいメロディーラインが多くなり、歌手は「アルペジョにはいると加速または減速がはいる」独特の修練を必要とする。ラテン音楽は原則的にスリーコードのみで進む鉄則があるため、これを破ろうとする者は「前衛」「異端」と呼ばれていた。

他の種類の音楽との関連

フォルクローレ

タンゴは、始めはフォルクローレから出発した。初期のタンゴでは、ギター・バイオリン・フルートのアンサンブルで演奏されて、バンドネオンは定着せず、ミロンガカンドンベと同種のラプラタ諸国の民俗音楽であった。バンドネオンの導入により、タンゴの差別化がなされるようになった。ミロンガについては、タンゴとして演奏されることもある。

カルロス・ガルデルは、フォルクローレ歌手として活動を始めて、その後タンゴを歌いだした。ガルデルの歌にギター伴奏のタンゴに、タンゴ愛好家の人気があり、今でも頻繁に聴くことができる。

また、タンゴ楽団によるヴァルス(バルスとも呼ばれる)すなわちアルゼンチン当地のワルツの演奏も、よく聴かれ、フランシスコ・カナロ楽団の黄金の心 Corazón de oro が有名である。

ブエノスアイレスのタンゴ生演奏の店タンゲリア tanguería では、フォルクローレの演奏も行っているところもある。東京の六本木にありタンゴバプとして有名だった店 「六本木カンデラリア」 (閉店) の店主の高野太郎は、フォルクローレ歌手である。タンゴもフォルクローレも、どちらもレパートリーとしている歌手も、目立つ。

クラシック音楽

エドガルド・ドナートがクラシック系統の音楽学校であるフランツリスト音楽院の優等生だったように、アルゼンチンでも日本もふくめ他地域でもクラシック音楽を専門的に学んだ人がタンゴ界で活躍することは、めずらしくない。

タンゴも最初期のエル・エントレリアーノから、半音階をとりいれたりしている。また、カデンツァなど、クラシック音楽の用法が、タンゴに応用されている。スペインのクラシック音楽の作曲家イサーク・アルベニスも、有名な「タンゴ」を作曲している。タンゴの「ビクトリア・ホテル」の作曲者のフェリシアーノ・ラタサはクラシック音楽の作曲家と、伝えられている。

クラシック音楽に対抗意識をもちつつ対話していたタンゴの権威にアストル・ピアソラがいて、アルゼンチンに来たアルトゥール・ルービンシュタインに自作の曲を見てもらったり、ナディア・ブーランジェから作曲を学んでいたというエピソードがある。

また、クラシック音楽家でも、演奏にタンゴをあえて選ぶ人も出てきている。チェロ奏者のヨーヨー・マが、ピアソラ作曲のリベルタンゴを演奏曲目に選んでいる。

ジャズ

エドガルド・ドナートは、ウルグアイのジャズのカルロス・ウォーレン楽団に所属していたこともある。フランシスコ・ロムートは、ジャズピアニストとしても活躍していたこともあった。アストル・ピアソラは少年期はタンゴよりもジャズを好んでいたといわれている。

タンゴも時代が下りモダンタンゴに近づくと、ジャズの影響が見られる曲も増えてくる。ちなみに、ピアソラは、ジャズ・タンゴを提唱しているし、ジャズの演奏家としている表現もみかける。タンゴもジャズも、ピアノとコントラバスとギターという楽器を使用するということでは、共通している。アティリオ・スタンポーネ楽団やネストル・マルコーニ楽団は、ジャズのリズムやピアノソロを全面に押し出すなど、タンゴ・アヴァンギャルドではジャズのイディオムも解禁されている。[22][23]

ただ、ジャズの曲をタンゴとして演奏されたりすることは、なかなかありえない。エル・チョクロキッス・オブ・ファイア Kiss of Fire として、ジャズで演奏されて注目されたことがある。アディオス・ムチャーチョスについてアメリカのジャズの権威のルイ・アームストロングの歌の録音もある。アメリカのルロイ・アンダーソンブルー・タンゴ Blue Tangoが、ジャズ楽団でも演奏されている。それ以外の例で、モダンタンゴ以外のタンゴがジャズとして演奏されることはあまりない。

1940年代を過ぎるとフランチーニ=ポンティエル楽団やサルガン楽団、トロイロ楽団は近代和声を拡張したジャズに影響された大胆な和声を積極的に織り込むようになった。この展開を嫌い、古典和声にこだわり続けたダリエンソやデ・アンジェリスのような硬派のタンゴ楽団もいる。近代和声を用いた名曲の第一号がマリアーノ・モーレスの「Uno(1943)」という見解を示す識者は多い。この作品はジャズのようなナインスコードが偶発的に出現するが、このような艶のある表現はレトロタンゴの時代では決してみられなかった。

シャンソン

小雨降る径 と、恋心については、タンゴとして演奏される場合がある。タンゴの曲がシャンソンとして歌われる例は、あまり見当たらない。

日本では、タンゴ歌手として出発した菅原洋一が、シャンソンを歌っている。シャンソン歌手の高英男第12回NHK紅白歌合戦で、同じくシャンソン歌手の芦野宏第13回NHK紅白歌合戦で、カミニートを歌っている。シャンソン生演奏の店シャンソニエで、月何回か、タンゴの生演奏を行うところもある。

ラテン

スペインの歌手のフリオ・イグレシアスや、メキシコのトリオ・ロス・パンチョスのように、タンゴ歌手でないスペイン語圏の歌い手も、タンゴのレコード録音がヒットすることもある。

展開

1900年頃の写真、男同士で踊ることも少なくなかった
タンゴの録音、左の人物がアストル・ピアソラ

概要

タンゴは今から約130年前に、アルゼンチン首都ブエノスアイレスの港町ラ・ボカ地区から始まったとされる。ただ、その前から、アフリカ系アルゼンチン人のコミュニティーで、「タンゴ」 と称する音楽がはやっていた。アルゼンチンタンゴ・ダンスはスペインイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として、ボカ地区の酒場で生まれた踊りといわれる。日頃の不満を歌にし、最初は単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊ったとも、娼婦を相手に踊られるようになったともいわれる。しかし、実際には記録はほとんど残っていないため、正しいことはわかっていない。ただ、リズムに関してはキューバのハバネラ、ヨーロッパ伝来のワルツ、アメリカ伝来のフォックストロット、アフリカ起源のカンドンベ、アルゼンチンのパンパで生まれたミロンガなどが、初期のタンゴに影響を与えた。

1919年まで

1949年まで

  • 1920年代、踊りのためのタンゴバンド大人気(代表的指揮者:ファン・ダリエンソ)。
  • 1925年 フランシスコ・カナロパリ公演が大成功する。
  • 1926年 フアン・デ・ディオス・フィリベルトが、カミニートを発表する。
  • この頃より、ヨーロッパの楽団でタンゴを演奏することが流行する。コンチネンタル・タンゴの勃興である。
  • 1940年代、アルゼンチン経済は繁栄し、一人当たりの国民総生産では、ドイツやイタリアよりも上であった時期であった。タンゴ黄金時代の絶頂期であった。
  • 1945年、第二次世界大戦が終わる。その前後ドイツのバンドネオン工場の多くが廃業となる。演奏家の人気度第一位のアルフレッド・アーノルド社が、バンドネオン製造をやめる。
  • 1946年、ファン・ペロン大統領就任し、労働者の利益を重視しつつも、反対派を抑圧する政治を行う。
  • 1948年 アニバル・トロイロ楽団で、歌のタンゴの傑作スール発表。

1989年まで

  • 1950年代、日本でもタンゴ流行、国内に20を超えるタンゴバンドが存在。
  • 1954年 アストル・ピアソラ、パリに留学。以降次々と新しいスタイルのタンゴを発表する。
  • 1955年9月、タンゴを擁護していたペロン政権崩壊。タンゴ低迷期始まる。
  • 1960年代、かつては先進国並みであったアルゼンチンの経済的地位に翳りが出てくる。モダンタンゴが根付き始める。踊るタンゴが低迷し、聞くためのタンゴが表舞台へ。
  • 1970年 日本において民音タンゴ・シリーズがスタート。毎年、全国にてアルゼンチン・タンゴの興業が開催される。
  • 1976年 ビデラ将軍一派が軍事独裁政権を樹立し、市民運動家らを殺害、一般に 「汚い戦争Guerra sucia といわれる。フォルクローレやタンゴなどの音楽家の亡命があいつぐ。
  • 1982年 フォークランド紛争で、アルゼンチンがイギリスに敗れる。
  • 1983年 アルゼンチンで軍事独裁政権が倒れ民主化なる。
  • 1983年、パリでタンゴアルヘンティーノが初演され大人気となる。タンゴ復興機運が盛り上がる。
  • 1985年 タンゴ・アルヘンティーノのブロードウェイ公演成功。

1990年以降

  • 1994年 フォーエバータンゴがサンフランシスコでロングランの大成功。
  • 1995年 アルゼンチンでソロ・タンゴ開局
  • 1997年6月19日〜、ブロードウェイフォーエバータンゴで大人気となる。
  • 1999年2月、フォーエバータンゴが初来日公演
  • 2003年8月、第1回アルゼンチン・タンゴ・ダンス世界大会がブエノスアイレスで開催される。
  • 2004年6月、第1回アルゼンチン・タンゴ・ダンスアジア大会が東京で開催される。

2004年以降

作曲家

著名なタンゴの曲の作曲者

タンゴと名付けられた作品を書いた著名な作曲者

演奏家

アルゼンチン・ウルグアイ

バンドネオン奏者

バイオリン奏者

ピアニスト

ドイツ

ドイツのバイオリン奏者

日本

日本のバンドネオン奏者

日本のピアニスト

日本のバイオリン奏者

日本のダンサー

  • アレハンドロ・ザッコ
  • 小林太平
  • チヅコ - 2010年タンゴダンス世界選手権ステージ部門チャンピオン
  • アクセル・アラカキ - 2017年タンゴダンス世界選手権ステージ部門チャンピオン

歌手

アルゼンチン・ウルグアイの歌手

日本の歌手

楽団

タンゴ黎明期の楽団

ラウル・オウテーダの選んだタンゴ十大楽団

DJバラーシュの選んだタンゴ十大楽団

このように[24]多くのタンゴ楽団に接した者ほど、アストル・ピアソラを避ける傾向にある。ラウル・オウテーダも同様である。

タンゴ黄金期の楽団

そのほかの楽団

  • キンテート・レアル Quinteto Real
  • 新生五重奏団
  • リカルド・サントス楽団
  • マランド楽団 Malando Orchestra
  • タマンゴ Tamango
  • コロール・タンゴ (プグリエーセ後継楽団)
  • ラ・ファン・ダリエンソ (ダリエンソ後継楽団)
  • タニ・スカラ楽団

日本の楽団

  • タンゴ・クリスタル
  • ザ・タンギスツ
  • タンゴ倭 (自作自演を行える楽団)
  • 早川真平とオルケスタ・ティピカ・東京
  • オルケスタ・ティピカ・大阪
  • オルケスタ・アストロリコ
  • 北村維章と東京・シンフォニック・タンゴ・オーケストラ
  • 西塔祐三とオルケスタ・ティピカ・パンパ
  • 坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ

有名な作品

アルゼンチン・タンゴ起源-黎明期

〜1910年頃

ロセンド・メンディサーバル 作曲

アンヘル・ビジョルド 作曲

ドミンゴ・サンタ・クルス Domingo Santa Cruz 作曲

フェリシアーノ・ラタサ Feliciano Latassa 作曲

エンリケ・サボリド 作曲

ホセ・ルイス・パドゥラ José Luis Padula 作曲

ビセンテ・グレコ Vicente Greco 作曲

アルゼンチン・タンゴ起源-黄金期

1910年頃〜1940年頃

アグスティン・バルディ Agustín Bardi 作曲

ロベルト・フィルポ 作曲

ヘラルド・マトス・ロドリゲス 作曲

ペレグリーノ・パウロス Peregrino Paulos 作曲

フランシスコ・ロムート 作曲

エドガルド・ドナート 作曲

ヘスス・ベントゥーラ Jesús Vntura 作曲

エドゥアルド・アローラス作曲

エンリケ・デルフィノ Enrique Delfino 作曲

サムエル・カストリオータ Samuel Castriota 作曲

フアン・デ・ディオス・フィリベルト 作曲

マヌエル・ホベス Manuel Jovés 作曲

カルロス・ガルデル 作曲

セパスティアン・ピアナ Sebastián Piana 作曲

カトゥロ・カスティージョ Cátulo Castillo 作曲

フアン・デアンブロージョ Juan Deambroggio 作曲

エンリケ・サントス・ディセポロ Enrique Santos Discépolo 作曲

ペドロ・ラウレンス Pedro Laurenz 作曲

フリオ・セサル・サンデルス Julio Cécar Sanders 作曲

フランシスコ・カナロ 作曲

アレハンドロ・スカルピーノ Alejandro Scarpino & ファン・カルダレーラ Juan Caldarella 作曲

ファン・カルロス・コビアン 作曲

アルゼンチン・タンゴ起源-過渡期

1940年頃〜1960年頃

フランシスコ・カナロ & マリアーノ・モーレス 作曲

マリアーノ・モーレス Mariano Mores 作曲

オスヴァルド・プグリエーセ 作曲

アニバル・トロイロ作曲

ファン・カナロ Juan Canaro 作曲

アルゼンチン・タンゴ起源-復興期

1950年頃〜

オラシオ・サルガン作曲

アストル・ピアソラ作曲

コンチネンタル・タンゴ起源

作曲者の国籍より分類

ドイツ

ヨゼフ・リクスナー Josef Rixner 作曲

  • 碧空 Blauer Himmel

ハンス・オットー・ボルグマン Hans-Otto Borgmann 作曲

デンマーク

ヤーコブ・ガーデ Jacob Gade 作曲

  • ジェラシー Jalousie

フランス

ジョルジュ・ビゼー Geroge Bizet 作曲

  • 真珠採り Perlefisher

ヘンリー・ヒンメル Henry Himmel 作曲

アメリカ合衆国

ルロイ・アンダーソン Leroy Anderson 作曲

補遺

  • 12月11日は、タンゴの日である。
  • NATOフォネティックコードではTのことをTangoと表す。
    • 軍隊や警察などでテロリストの通称として使われる。TerroristのTから採られている。
  • ニコニコ動画にはアルゼンチン・タンゴのアップロード数は、ピアソラやダリエンソのような例外を除いて極めて少なかった。しかし2010年代からボカロタンゴと呼ばれるジャンルの動画投稿が活発化し、2016年現在30件以上のヒットがある。アルゼンチン・レトロタンゴからの伝統を継いでいるとは言えないが、新規のリスナーを獲得している。
  • mixiのコミュニティに至っては、ピアソラが6000超のメンバーを抱えるのに対してプグリエーセはその1/60以下になり、その他の巨匠に至ってはコミュニティそのものがない。
    • youtubeFacebookSpotifyではそのようなことはないことから、日本に関する限りタンゴの愛好家の高齢化を指摘する声も多い。
  • タンゴの楽団は親日家が多いこともあってコンチネンタル・タンゴ、アルゼンチン・タンゴ、タンゴ・アヴァンギャルド問わず幅広く来日しており、LP時代は専属楽団も抱えるほど日本はタンゴを耳にする機会の多い国家であった。
  • ヤマハ音楽教室の専門コースの教材には、「ブルー・タンゴ」が使われていた時がある。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ それらのスポットは現在の「出会い系サイト」と同義の働きを持つものであった。フランシスコ・ロムートのデビュー曲「El 606」が性病の薬からとられていることは有名であり、彼はこの曲の作曲当時15歳である。
  2. ^ オスヴァルド・プグリエーセ楽団も「アルゼンチンポピュラー音楽フェスティバル」と題されたイヴェントに出演していることもあり、確かに「ポピュラー音楽」という呼称は間違いではない。しかし、ヴァリアシオンの連続はクラシック音楽の難易度をはるかに超えており、クラシックを正式に修めた音楽学校卒業者が多数関与している。
  3. ^ コンチネンタル=大陸の=ヨーロッパの
  4. ^ または「ヨーロピアン・タンゴ」
  5. ^ ソシアルダンス
  6. ^ Balázs GyenisのDJによるArgentine Tango Radio Budapestはその典型例。
  7. ^ 3.3.2の拍で進行するタンゴはピアソラにより有名だが、伝統的にはこれらはタンゴのイディオムではない。
  8. ^ この拍へのニュアンスは楽団ごとにかなり異なり共通見解はない。
  9. ^ Alma, corazón y vida-Roberto Goyeneche y Angel Diazなど
  10. ^ サブハーモニクスではなく、弓圧を強めたピッチレスのノイズ
  11. ^ トロイロが使っている。
  12. ^ プグリエーセが使っている。
  13. ^ 1960年代以降プグリエーセが多用している。
  14. ^ ヴァイオリン(3人以上)、バンドネオン(3人以上)、ピアノコントラバスをふくむ「標準編成の楽団」の意。
  15. ^ バイオリン、バンドネオン、ピアノ、コントラバスギター各1を含む「五重奏団」の意。
  16. ^ そもそも、タンゴはバンドネオンなしから始まった民俗音楽である。
  17. ^ トロンボーンを入れるTango No.9
  18. ^ これで絶大な人気が出て、プロモーターは願ったりかなったりという時代が1966-67年ごろである。
  19. ^ この時期の民音タンゴシリーズに招聘されたコロール・タンゴなどの「巨匠の後継楽団」がオールドファンにも新規ファンにも好評であったことが原因とみられる。
  20. ^ 外部リンク
  21. ^ 同様の問題はバッハやベートーヴェンのようなクラシック音楽の名作においてすら、頻繁に発生している。
  22. ^ 外部リンク
  23. ^ 外部リンク
  24. ^ balazs's selection

関連項目

楽器

タンゴのジャンルで鳴るダンスの種類

ラジオ

地理的分類

関連文献

  • Barreiro, Javier (1985). El tango. Gijón: Júcar. ISBN 84-334-2064-X.
  • Bottomer, Paul (1999). Tango. Madrid: Susaeta.
  • Cadícamo, Enrique (1973). Café de camareras. Buenos Aires: Sudamericana.
  • Ferrer, Horacio (1980). Libro del tango: arte popular de Buenos Aires (3 tomos). Buenos Aires: Antonio Tersol.
  • González Arzac, Alberto; Uthurralt, Marisa (2007). Tango aborigen. Buenos Aires: Quinque.
  • Groppa, Carlos G. (2004). The tango in the United States: a history. McFarland. ISBN 0786426861.
  • Hidalgo Huerta, Manuel (2001). Tango. Biblioteca Nueva. ISBN 84-7030-987-0.
  • Judkovski, José (1998). El tango. Una historia con judíos. Buenos Aires: Fundación IWO. ISBN 987-96990-0-9.
  • Varios autores; coord. Martini Real, Juan Carlos (1976-2011). Historia del tango (21 tomos). Buenos Aires: Corregidor. ISBN 978-950-05-1947-2.
  • Nudler, Julio (1998). Tango judío (del ghetto a la milonga). Buenos Aires: Sudamericana. ISBN 950-07-1498-1.
  • Oderigo Ortiz, Néstor (2009). Latitudes africanas del tango. Buenos Aires: Eduntref. ISBN 950-07-1498-1.
  • Pau, Antonio (2001). Música y poesía del tango (prólogo de Ernesto Sabato). Madrid: Trotta.
  • Sabato, Ernesto (1963). Tango: discusión y clave. Buenos Aires: Losada.
  • Vidart, Daniel (1964). Teoría del tango. Montevideo: Banda Oriental.
  • Vidart, Daniel (1967). El tango y su mundo. Montevideo: Tauro.
  • Zubillaga, Carlos; Borges, Jorge Luis (1986). Carlos Gardel (prólogo de Jorge Luis Borges). Madrid: Los Juglares.
  • Zucchi, Oscar (1997ss). El tango, el bandoneón y sus intérpretes (10 tomos; 3 editados). Buenos Aires: Corregidor.
  • Raul Outeda ; La Historia De 500 Tangos ISBN 978-9500510363
  • Raul Outeda& Roberto Cassinelli ; Anuario del Tango ISBN 978-9500510950
  • Michel Plisson ; Tango, du noir au blanc, 2e édition, éditions Actes Sud, 2004.
  • Alfredo Helman, Passione di Tango, Edizioni Clandestine.
  • Hugo Lamas, Enrique Binda, El tango en la sociedad porteña, Héctor Lorenzo Lucci.
  • Dimitri Papanikas, La morte del Tango. Breve storia politica del Tango in Argentina, Ut Orpheus Edizioni.
  • Robert Farris Thompson, Tango. Storia dell'amore per un ballo, Elliot Edizioni.
  • Pier Aldo Vignazia, Il tango è (sempre) una storia d'amore.. e non una rosa in bocca, Sigillo Edizioni.
  • Драгилёв, Д. Лабиринты русского танго. — СПб.: Алетейя, 2008. ISBN 978-5-91419-021-4
  • Кофман, А. Аргентинское танго и русский мещанский романс // Литература в контексте культуры. МГУ, 1986
  • Marcelo Copello - Revista Gosto Nº7 Fev. 2010 - Editora Isabella
  • SZEGO, Thais. Entre na dança. Revista Saúde! é vital. Março, 2007
  • CUNHA, A. G. Dicionário etimológico Nova Fronteira da língua portuguesa. 2ª edição. Rio de Janeiro. Nova Fronteira. 1996.
  • FERREIRA, A. B. H. Novo dicionário da língua portuguesa. 2ª edição. Rio de Janeiro. Nova Fronteira. 1986.

外部リンク




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