1920年代の供給実績と需要家獲得の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:07 UTC 版)
「大同電力」の記事における「1920年代の供給実績と需要家獲得の経緯」の解説
大同電力発足当初の1921年(大正10年)上期の時点にさかのぼると、木曽電気興業から引き継いだ賤母・串原両発電所(出力計1万8,600kW)より名古屋・木曽方面に、日本水力から引き継いだ西勝原発電所(出力7,200kW)より北陸方面にそれぞれ電力を供給しているに過ぎなかった。しかし1922年(大正11年)に京阪、1924年(大正13年)に東京方面への送電を開始するなど相次いで需要家を獲得し、毎年4万kW以上の供給を積み増して1926年(大正15年)下期末の電力供給は約24万kWに達した。 大同電力が武器としたのは低い供給コストであった。発足当初からの相次ぐ設備投資により、1925年の発電所出力は水力15万4,800kW・火力10万500kWの合計25万5,300kWに及んでおり、短期間のうちに東京電灯に次ぐ発電力を持つ電力会社へと発展していた。これらの大容量発電所をもってする大量発電と大量送電は、大同電力の生産性を既存の企業よりも高いものとし、1kWhあたり1銭強という低コストを可能にさせた。主な販売目標とされた京阪方面においては、電力不足に加えて第一次世界大戦以来の石炭価格高騰で火力発電のコストが高騰していたことから、これも大同電力には追い風となった。 如上の経緯をたどって拡大した1920年代の電力供給のうち、四大卸売先への供給動向について以下に詳述していく。
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