1920年代の動向とは? わかりやすく解説

1920年代の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 00:16 UTC 版)

大阪市営電気供給事業」の記事における「1920年代の動向」の解説

1920年代通じ大同電力との間に締結され前記2つ電力供給契約基づいて同社からの受電順次拡大した1928年昭和3年)までの推移以下の通り。なお、「大阪電灯分」は旧大阪電灯との契約よるもの、「大阪送電分」は旧大阪送電との契約よるものを指す。 1923年10月 - 20,000kW新規受電開始。うち大阪電灯16,000kW、大阪送電分4,000kW。 1924年4月 - 4,000kW増加累計24,000kW。大阪電灯分。 1925年4月 - 8,000kW増加累計32,000kW。同上1926年4月 - 8,000kW増加累計40,000kW。同上1927年4月 - 6,000kW増加累計46,000kW。同上1928年4月 - 4,000kW増加累計50,000kW。大阪電灯分。 1928年12月 - 4,000kW増加累計54,000kW。大阪送電分。 新規受電開始時と同様に受電増加の際も当初契約から2割減に抑えられている。また1927年4月定時不定時各5,000kWの増加予定であったものを定時分については2割減の4,000kW、不定時分については定時変更の上2,000kWの増加とした。これらにより、契約通りであれば1928年には大同電力から70,000kWを受電する予定であったものを、2割減の上にさらに2,000kWを差し引いた54,000kWに圧縮した購入電力負担軽減電灯市営化以降10年間の課題であった大同電力とは料金3年毎に改訂する契約であったので、最初料金改訂期が1926年大正15年10月訪れた同年春頃から交渉始めたものの纏まらず、11月になって当時受電中の40,000kWについて料金を2銭3厘から2銭2厘8毛、責任負荷率70%から65%へそれぞれ低減する条件決着した2度目料金更改期は1929年昭和4年10月で、大幅な値下げ目指し同年9月交渉着手したもののやはり早期決着せず、12月になっても纏まらないので市側・会社側から各2名の仲裁者を選び逓信大臣小泉又次郎加えた5名の裁定を仰ぐこととなった裁定により料金は1kWhあたり2銭8毛、責任負荷率60%へとさらに低減された。 宇治川電気との契約は、まず夜間20,000kW・昼間1,900kWのものが1925年大正14年5月満期となったので、大同電力からの受電増により従来の高負荷率維持できないことから責任負荷率70%に引き下げるかわりに料金を1kWhあたり1銭5厘に引き上げる、という条件継続した一方余剰となった昼間2,000kWの契約1926年6月解約。残る4,000kWの受電契約はは1926年10月満期となり、大同電力同一条件により継続1928年12月にはさらに4,000kWの追加受電行った。また1926年11月日本電力との間で新規供給契約締結し常時3,000kWと別途最大9,000kWの融通電力を1kWhあたり2銭2厘、責任負荷率60%という条件にて受電することとなった火力発電所は、購入電力利用効率化のため、初期には石炭消費量の多い旧式発電所冬季全力運転された。旧式発電所1927年度を最後に九条第一発電所が、1929年度を最後に安治川発電所稼働なくなり九条第二発電所のみの運転となっている。

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1920年代の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:04 UTC 版)

愛知電力」の記事における「1920年代の動向」の解説

1920年代に入ると隣接事業者名古屋電灯拡大路線猛進し始め短期間一宮電気豊橋電気など計6社を合併した上、1921年大正10年10月奈良県関西水力電気巻き込んで関西電気へと姿を変える関西電気発足後拡大続き知多電気旧・知瓦斯)を含む周辺事業者9社と九州九州電灯鉄道合併して1922年大正11年6月資本金1億円超の大電会社東邦電力へと発展した名古屋電灯拡大しつつあった1921年8月名古屋市周辺16町村編入し市域拡大した新市域には愛知電気鉄道供給区域である愛知郡笠寺村含まれる南区笠寺町鳴尾町星崎町本星崎町となる)。この旧笠寺村区域については、名古屋市一円単一事業者供給区域として供給面での混乱避ける、という意図から東邦電力買い取ることとなった譲渡契約1924年大正13年1月25日付で締結愛知電気鉄道側では2月26日事業譲渡株主総会可決した逓信省からの譲渡許可4月18日付で下り同年5月1日付で事業引継ぎ完了した譲渡した電灯数は2363灯、電力供給は54.5馬力で、譲渡代金10万であった1922年2月知多郡東浦村西端にあたる緒川新田での配電工事完了した東浦村追加をもって愛知電気鉄道供給区域拡張打ち止めとなった。その一方で鉄道路線東へ伸ばされ名古屋岡崎豊橋を結ぶ豊橋線(現・名鉄名古屋本線一部)が1927年昭和2年)に全線開通をみた。以後豊橋線愛知電気鉄道経営となっていく。創業初期には供給事業収入鉄道事業収入匹敵する規模1914年上期1915年上期1917年上期の計3期供給事業収入の方が大きい)であり、建設費有利な供給事業利益によって鉄道事業を補うという事構造であったが、1927年以後鉄道事業収入供給事業収入の2倍超という規模になっている供給区域の拡大限定的であったものの、電灯・電力供給成績1920年代通じて一貫して拡大し続けた電灯供給では1920年上期需要家2万戸・灯数3万灯突破。旧笠寺村区域譲渡した1924年上期のみ前期比微減となるが、1925年上期に灯数が6万灯超え同年下期需要家数も3万戸達した電力供給1921年上期1000馬力到達、その倍の2000馬力超えるのは1924年上期で、3年後1927年上期には4000馬力超えた1929年11月時点での供給成績は、電灯需要家数33721戸・灯数79416灯、電力需要家数1271戸・馬力4950馬力(3693キロワットであった。また供給拡大とともに供給設備拡充されており、名和日長変電所に続く配電用変電所として西浦変電所配電専用1921年1月設置)と有松変電所1923年4月設置)が新設されている。

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