笠寺町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/15 16:17 UTC 版)
笠寺町
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笠覆寺(笠寺観音)
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北緯35度5分44.87秒 東経136度56分14.83秒 / 北緯35.0957972度 東経136.9374528度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | 南区 |
面積 | |
• 合計 | 0.268912935 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,097人 |
• 密度 | 7,800人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
457-0051[WEB 3]
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市外局番 | 052(名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
笠寺町(かさでらちょう)は、愛知県名古屋市南区の地名。住居表示未実施[WEB 5]。30の小字が設置されている。
地理
名古屋市南区の東部に位置し、東は白雲町、西は前浜通、南は粕畠町、南東は砂口町に接する。
字一覧
笠寺町とその前身である笠寺村大字笠寺の小字は以下の通り[WEB 6]。消滅した字については背景色 で示す。
字 | 字 |
---|---|
赤坪(あかつぼ) | 一色(いしき) |
一ノ割(いちのわり) | 市場(いちば) |
市場東(いちばひがし) | 姥子山(うばこやま) |
粕畑(かすばた) | 加福一之切(かふくいちのきり) |
加福三之切(かふくさんのきり) | 加福二之切(かふくにのきり) |
加福四之切(かふくよんのきり) | 上荒浜(かみあらはま) |
上磯浜(かみいそはま) | 上大曲輪(かみおおぐるわ) |
上加福(かみかふく) | 上新町(かみしんまち) |
上鳥山(かみとりやま) | 川田(かわだ) |
北内(きたうち) | 久戸ノ江(くどのえ) |
九ノ割(くのわり) | 小曲輪(こぐるわ) |
五反田(ごたんだ) | 五ノ割(ごのわり) |
柵下(さくした) | 三ノ割(さんのわり) |
七子(しちこ) | 七反田(しちたんだ) |
七ノ割(しちのわり) | 四ノ割(しのわり) |
芝(しば) | 下荒浜(しもあらはま) |
下磯浜(しもいそはま) | 下大曲輪(しもおおぐるわ) |
下加福(しもかふく) | 下新町(しもしんまち) |
下鳥山(しもとりやま) | 十ノ割(じゅうのわり) |
橦木江築留西(しゅもくえちくどめにし) | 橦木江築留東(しゅもくえちくどめひがし) |
砂田(すなだ) | 砂之口(すなのくち) |
大門(だいもん) | 立脇(たてわき) |
寺部(てらべ) | 天満(てんま) |
中磯浜(なかいそはま) | 中切(なかぎり) |
鍋弦(なべつる) | 西浦(にしうら) |
西之門(にしのもん) | 二ノ割(にのわり) |
迫間(はざま) | 迫間下(はざました) |
羽曽根(はそね) | 八ノ割(はちのわり) |
浜中(はまなか) | 平田(へだ) |
松原(まつばら) | 松東(まつひがし) |
松本(まつもと) | 丸ノ内(まるのうち) |
宮迫間(みやはざま) | 明円(みょうえん) |
諸輪(もろわ) | 柚ノ木(ゆのき) |
六ノ割(ろくのわり) |
歴史
中世までは愛知郡星崎郷の一部で、鎌倉期の笠覆寺の鐘銘に「尾張国星前笠覆寺」と書かれている。
町名の由来
江戸期の愛知郡笠寺村を前身とする。笠覆寺(笠寺観音)の名に由来する[1]。
行政区画の変遷
- 1878年(明治11年)12月28日 - 笠寺村・化物新田・又兵衛新田・又兵衛新々田が合併し、前浜村が成立[2]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行にともない、愛知郡笠寺村に改称[2]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 鳴尾村・星崎村と合併し、笠寺村大字笠寺となる[2]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市南区へ編入し、同区笠寺町となる[2]。
- 1928年(昭和3年)12月15日 - 一部が西桜町・桜本町・弥生町・白雲町となる[3][4]。
- 1939年(昭和14年)8月5日 - 一部が鶴里町となる[4]。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)5月1日 - 一部が弥次ヱ町となる[5]。
- 1952年(昭和27年)5月1日 - 一部が松城町・柵下町・粕畠町・浜中町・前浜通・鳥山町・寺部通・立脇町となり、一部を弥次ヱ町・道全町・本地通・本城町へ編入[2][5]。
- 1960年(昭和35年)3月20日 - 一部が加福町・加福本通・西又兵ヱ町・東又兵ヱ町となり[2]、一部を港東通へ編入[5]。
- 1961年(昭和36年)3月28日 - 一部を港東通へ編入[5]。
- 1970年(昭和45年)6月16日 - 一部が明円町・芝町・赤坪町・砂口町となり、一部を弥生町・白雲町・鶴里町へ編入[4][2]。
世帯数と人口
2019年(平成31年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
笠寺町 | 1,026世帯 | 2,097人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 2,928人 | [WEB 7] | |
2000年(平成12年) | 2,715人 | [WEB 8] | |
2005年(平成17年) | 2,515人 | [WEB 9] | |
2010年(平成22年) | 2,368人 | [WEB 10] | |
2015年(平成27年) | 2,224人 | [WEB 11] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 12]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 13]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 名古屋市立笠寺小学校 | 名古屋市立本城中学校 | 尾張学区 |
交通
施設
- 笠覆寺(笠寺観音)
- 西福院
- 西方院
- 泉増院
- 東光院
- 七所神社
- 名古屋笠寺郵便局
その他
日本郵便
脚注
WEB
- ^ “愛知県名古屋市港区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2017年10月7日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年4月22日). 2019年4月23日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “南区の町名一覧”. 名古屋市 (2015年10月21日). 2019年4月23日閲覧。
- ^ “名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2020年11月20日閲覧。「名古屋市南区笠寺町」のページを参考とした。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年4月23日閲覧。
書籍
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 557.
- ^ a b c d e f g h i 名古屋市計画局 1992, p. 853.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 851.
- ^ a b c 名古屋市計画局 1992, p. 852.
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 854.
参考文献
関連項目
外部リンク
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