供給区域の拡大
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徳島電灯を吸収した1911年末の段階において、徳島水力電気の電灯電力供給区域は徳島市内とそれに隣接する加茂村大字田宮・加茂名町・斎津村、北に離れた撫養町、それに桜谷発電所のある宮浜村の一部地域に限られた。しかしその後、1910年代を通じて供給区域は拡大を続けていくことになる。 徳島・撫養両地区以外では、まず1912年に徳島市南方の勝浦郡小松島町(現・小松島市)と西方の名東郡国府町(現・徳島市)・名西郡石井町にて供給が始まった。南側では、翌1912年に那賀郡立江町(現・小松島市南部)でも供給を開始し、1914年には同郡富岡町(現・阿南市)まで拡大した。一方、西の吉野川沿岸地域においては、1913年に麻植郡鴨島町・川島町(現・吉野川市)での供給を開始し、1916年(大正5年)には美馬郡脇町(現・美馬市)および貞光町(現・つるぎ町)でも開業している。 徳島水力電気が徐々に西進した吉野川沿岸地域では、これとは別に川田水力電気株式会社という事業者が出現した。同社は1913年9月3日、麻植郡川田村(現・吉野川市)に資本金3万2000円で設立、翌1914年3月に代表者原田善三郎の個人事業(1913年5月開業)を譲り受けた。供給区域は川田・山瀬・三山の3か村で、川田村の川俣用水に出力25キロワットの水力発電所を持った。開業5年後の1918年(大正7年)2月28日、この川田水力電気は徳島水力電気に吸収された。合併に伴う徳島水力電気の増資は3万円であった。 川田水力電気の合併後、徳島水力電気は川北電気企業社の資本系統による経営に移った。この川北電気企業社は、シーメンス・シュケルト出身の技師川北栄夫が独立後1909年に起業した会社で、全国各地で電気事業の起業・経営に関わっていた。同社の傘下に入ったことで代表取締役に井原外助が入った。井原も川北と同様シーメンス・シュケルト出身の実業家であり、当時広島電灯など中国地方の電力会社に関係していた。 なお吉野川沿岸地域の供給拡大は1923年(大正12年)3月に三好郡三庄村・加茂村(現・東みよし町)まで到達した。それより西側、三好郡辻町・池田町(現・三好市)などは香川県の四国水力電気の供給区域(ただし地元の辻町水力電気により開業)であり、徳島水力電気の勢力は及ばなかった。
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供給区域の拡大
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既述のように1921年から翌年にかけて多数の電力会社の統合によって成立した東邦電力であるが、1942年の会社解散の直前に至るまでの約20年間で、それ以上に多数の電気事業者を統合し続けた。被統合事業者には、先に触れた1937年合併の合同電気・中部電力のような大規模電力会社から、ごく小規模な事業者まで様々である。
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