北勢電気への改称
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1913年(大正2年)末の時点で、四日市電灯の需要家は約1万4,000戸を数えていた。当時の四日市市の総戸数が約6,800戸であるため、需要家の半数以上が市外であったことがうかがわれる。このように事業区域が四日市のみならず北勢地方一帯に広がったことから、1914年(大正3年)8月1日(登記日)、四日市電灯は「北勢電気株式会社」に社名を変更した。 1913年1月、増設の余地がなくなった北条発電所に代わる火力発電能力増強として、四日市市郊外の三重郡日永村(現・四日市市)に出力1,500キロワットの大井川発電所を新設した。これを最後に発電所の新増設は行われていない。供給区域の拡大も続き、1914年4月には員弁郡梅戸井村(現・いなべ市)に変電所を新設、阿下喜村(同)など周辺町村で順次配電工事を進めていった。ただし員弁郡北部の十社村ほか3村は十社村に設立された十社電気の供給区域に入り、北勢電気区域からは外れた。 1921年(大正10年)4月1日、北勢電気は大勢水力電気株式会社を合併した。合併に伴う増資は24万円。吸収した大勢水力電気は1916年10月10日資本金6万円で津市に設立された会社で、1918年(大正7年)5月15日に開業。北勢電気区域からは離れた一志郡家城村(現・津市)ほか6村を供給区域としていた。電源として八知村を流れる雲出川支流神河川に出力45キロワットの小規模水力発電所を構えたほか、1920年(大正9年)に竹原村にて出力700キロワットの竹原発電所を建設する工事認可を得ていた。そのため北勢電気では合併に伴い竹原発電所の建設工事を引き継いでいる。 また創業時期不詳だが、北勢電気には兼営事業として「鉄工所」事業があった。逓信省の資料にある1918年時点での電機工場一覧によると、鉄工所は四日市市北条町にあり、変圧器・街灯用金物・腕金を製作していた。ガス事業(瓦斯部)より事業規模が大きく、1921年11月期決算では7万9千円(瓦斯部は1万5千円)の収入を挙げている。
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