撫養町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 14:14 UTC 版)
むやちょう 撫養町 |
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廃止日 | 1947年3月15日 |
廃止理由 | 新設合併 撫養町、瀬戸町、鳴門町、里浦村 → 鳴南市 |
現在の自治体 | 鳴門市 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 徳島県 |
郡 | 板野郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 17,228人 (1940年) |
隣接自治体 | 瀬戸町、鳴門町、里浦村、大津村、堀江村、北灘村 |
撫養町役場 | |
所在地 | 徳島県板野郡撫養町大字南浜 |
座標 | 北緯34度10分21秒 東経134度36分32秒 / 北緯34.17258度 東経134.60881度座標: 北緯34度10分21秒 東経134度36分32秒 / 北緯34.17258度 東経134.60881度 |
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撫養町(むやちょう)は、かつて徳島県板野郡にあった町。現在の鳴門市撫養町(木津・南浜・斎田・黒崎・小桑島・大桑島・岡崎・弁財天・北浜・林崎・立岩)。古くより鳴門の中心的市街地。
1889年の町村制実施時に徳島県内で「町」だった2つの自治体のひとつ(もうひとつは脇町)。
歴史
近畿と交通の便がよかったことから奈良時代・平安時代から開けていた[1]。天平5年(733年)完成の風土記のものとされる逸文に「むや」の記述があり、これが史料として最も古い[1]。『土佐日記』には「牟野 (むや)」とされている。室町時代には三好氏の城下町だったが、天正13年(1585年)に蜂須賀家政が阿波九城の一つ岡崎城(撫養城)を築いてから淡路渡海の押えの地として特に発展した[2]。 江戸時代は「斎田塩」の製塩業、塩・藍などの積み出し港として栄えた[2]。四国の門戸として、日本各地から廻船が集まり、全国でも有数の港町だったが、港口付近に暗礁が多く、大型船の航行に支障があったため、昭和に入ると次第に港町としての機能は衰えていった[1]。また1934年(昭和9年)の室戸台風の暴風雨により、塩田が全滅する大打撃を受けた[3]。
沿革
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、板野郡木津村、南浜村、斎田村、黒崎村、小桑島村、大桑島村、岡崎村、弁財天村、北浜村、林崎村、立岩村が合併し撫養町が発足。大字斎田字岩崎に町役場を設置。
- 1898年(明治31年) - 大字斎田字浜端南に町役場を移転。
- 1924年(大正13年) - 大字南浜に町役場を移転。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 板野郡瀬戸町、鳴門町、里浦村と合併し鳴南市が発足。同日撫養町廃止。
参考文献
- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)
脚注
関連項目
- 撫養町のページへのリンク