ハ1形 (1-6)
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1921年の開業に合わせて製造された3等木造2軸客車。1921年3月の開業時に導入されたハ1とハ2は枝光鉄工所製で、同年10月に増備されたハ3 - ハ6は服部製作所製。
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ハ1形(ハ1、ハ2、ハ3)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 23:36 UTC 版)
「天塩炭砿鉄道」の記事における「ハ1形(ハ1、ハ2、ハ3)」の解説
1943年(昭和18年)3月26日設計認可で国鉄より譲受けた木製2軸客車で、入線に際して自動連結器に交換された。開業までに購入の目途がつかず、竣功監査時には夕張鉄道より2軸客車2両を借入れていた。
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ハ1形(参考)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 04:25 UTC 版)
本形式は、1928年7月日車製の木造二軸車で2両(3, 4)が製造された。富山鉄道ハ3, ハ4が出自で、ハ3は1934年(昭和9年)、ハ4は1938年(昭和13年)に廃車されていたが、1939年(昭和14年)に新製扱いで購入した。その際、貫通路を閉鎖し、ロングシートに改造している。1942年に再改造してデッキを撤去し、総定員は74人(うち座席定員14人)で、側面窓配置は1D6D1となった。自重は、3が8.2t、4が8.0tである。国有化に際しては、客車に類別されハ1163, ハ1164とされたが、実質は電車用の付随車であり、電動車の間に挟まって4両編成でも運転されたという。1947年(昭和22年)11月5日付で廃車となり、うち1両の車体は金沢機関区の倉庫として利用された。
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ハ1形(ハ1)
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「一畑電気鉄道立久恵線」の記事における「ハ1形(ハ1)」の解説
開業に備えて鉄道省から払い下げを受けた木造二軸車で、元は1903年鉄道作業局新橋工場製のハ1005形ハ1310である。キハ1形(キハ4・キハ5)の客車化による代替と老朽化、また長尺物運搬時に行っていた鉄道省からの貨車借受解消のため、1942年7月に長物車チ200形チ200に改造され、貨車となった。
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