キハ1形(相模鉄道)
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「相模鉄道の気動車」の記事における「キハ1形(相模鉄道)」の解説
1932年に導入された日本車輌製造東京支店製の半鋼製二軸ガソリンカー。前面は2枚窓の平妻。キハ1・キハ2の2両が在籍した。相模・神中合併を前にした1943年1月、日本軽金属に譲渡され、蒲原工場専用線の通勤輸送用客車となった。越生鉄道キハ1形気動車は同形車。
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キハ1形(神中鉄道・初代)
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「相模鉄道の気動車」の記事における「キハ1形(神中鉄道・初代)」の解説
1929年に蒲田車両で新造された木造の二軸ガソリンカーで、キハ1 - キハ6の6両が在籍した。前面は丸妻の3枚窓で、側面車端部に配した戸袋窓は楕円形の、いわゆる「丸窓」であった。1932年に簡易鋼体化改造(外板への鋼板貼り付け。いわゆる「ニセスチール車」)を行ったが、キハ30形登場に伴いキニ120形に改造されていたキハ6以外は1939年までに廃車された。廃車後、キハ3・キハ5は出雲鉄道(後の一畑電気鉄道立久恵線)へ譲渡され、1941年に同社キハ1形キハ4・キハ5となった。 6は1936年に側面に側窓2個分の幅の荷物扉を取り付け、荷物車キニ120形キニ121に改造されたが、1948年に廃車された。
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キハ1形(神中鉄道・2代)
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「相模鉄道の気動車」の記事における「キハ1形(神中鉄道・2代)」の解説
1939年 - 1940年にかけて、当時神中鉄道を資本下に置いていた東京横浜電鉄から流線形の17mガソリンカーを譲受したもの。キハ1 - キハ3・キハ5 - キハ7の6両が在籍した。 詳細は「東京横浜電鉄キハ1形気動車」を参照
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キハ1形(初代、キハ4・キハ5)
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「一畑電気鉄道立久恵線」の記事における「キハ1形(初代、キハ4・キハ5)」の解説
1941年に神中鉄道(法人としては現、相鉄ホールディングス。路線は現、相鉄本線・厚木線)キハ1形のキハ3・キハ5を譲受して、カハニ1形の続番でキハ4・キハ5としたもの。元は1929年蒲田車輛製。35馬力のウォーケシャVK4エンジンを装備した二軸ガソリンカーだったが、導入翌年の1942年には客車化されハフ10形ハフ10・ハフ11となった。戦後はカハニ1形の客車化もあって利用頻度が減少していたこともあり、老朽化のため1951年4月にハフ11が、1953年12月にハフ10が廃車された。
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キハ1形(2代、キハ2・キハ3)
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「一畑電気鉄道立久恵線」の記事における「キハ1形(2代、キハ2・キハ3)」の解説
戦後の動力車不足を補うため、1949年12月に日本国有鉄道(国鉄)からキハ40000形のキハ40001・キハ40000を譲受したもので、1934年日本車輌製であるが、竣工図上ではキハ2が1930年・キハ3が1933年にそれぞれ川崎車輛製となっている。当時両車とも倉庫代用となっておりエンジンが撤去されていたため、入線に際して一緒に譲受した100馬力のGMF13形ガソリンエンジンを装備する工事を受けている。その後はキハ2が1953年6月にエンジンを100馬力のDMF13形ディーゼルエンジンに換装され、キハ3も1955年3月にその出力強化形のDMF13B形ディーゼルエンジン(110馬力)に換装された。キハ3は1961年2月の土砂崩れで堆積した土砂に乗り上げて転覆する事故を起こしそのまま廃車となったが、キハ2は廃線翌年の1965年に有田鉄道へ譲渡され、同社キハ201となった。なお、キハ1については上記カハニ1形を参照。
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キハ1形(キハニ1)
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「北海道炭礦汽船夕張鉄道線」の記事における「キハ1形(キハニ1)」の解説
旅客列車増発用として、国鉄湧別線で使用されていた1912年汽車会社製蒸気動車のキハニ6453を1939年に借入、1941年に譲受(代価8,360円)してキハニ1としたもの。
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キハ1形(1-3)
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1928年、丸山車両製の木造単端式ガソリン動車を1933年に日本車両で鋼体化。1938年に1と2は売却された。そのうち1は日立航空機立川工場への専用線車両として買い取られるも、使用される事なく1952年頃まで小川駅構内に放置された後行方不明となった。2については宮崎交通に移りハ1となり、残った3は1948年に廃車となった。廃車体は1960年頃まで黒羽機関庫に残されていたのが確認されている。
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キハ1形(キハ1, 2)
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「紀州鉄道線」の記事における「キハ1形(キハ1, 2)」の解説
ガソリンカー。御坊臨港鉄道の開業に先だって、東京の松井工作所(松井車輌とも称する。個人経営工場のため名称不統一な記載が多い)で製造された木造(外板鋼板張り)4輪両運転台車。車両の新製に際しては御坊臨港側の書類手続きの不備が多く、監督官庁から多々叱責を受けた。
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キハ1形(ガソリン客車)
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「多摩湖鉄道の鉄道車両」の記事における「キハ1形(ガソリン客車)」の解説
キハ1形は現在の西武多摩湖線を建設および営業した多摩湖鉄道が1928年(昭和3年)に日本自動車から購入した4輪(2軸)ガソリン客車(気動車)である。 1両は1936年(昭和11年)に廃車となったが、残る1両は1940年(昭和15年)に合併により武蔵野鉄道(現・西武鉄道)に引き継がれた。しかしそれも1949年(昭和24年)に廃車された。
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