車両
車両(しゃりょう、旧表記では車輛。英: wheeled vehicle)は、車輪のついた乗り物[1]。乗り物のうち、車輪がついていて陸上を走るもの、陸上を走るためのもの。
分類・種類
目的や車輪の数などによって分類されている。
目的による分類から説明すると、線路を走行するための車両は鉄道車両と分類される。鉄道車両には機関車や客車や貨車などがある。そのうち機関車は動力の種類によって蒸気機関車、気動車、電車などに分類されている。
鉄道車両の一例、ディーゼル機関車
道路を走るための車両(単に「車両」などと呼ぶことが一般的)には、自転車(じてんしゃ)、原動機付自転車、自動二輪車(オートバイ)、三輪以上の自動車などがある(日本の道路交通法では「自動車、原動機付自転車、軽車両及びトロリーバスをいう。」<第2条第1項第3号> とされている。なお、同法における「車両等」とは、上記の車両の他に、路面電車を含む。自転車は「軽車両」に分類されている)。
もっぱら建設の用途に用いる車両や、建設機械のうち車輪を備えたもの(原動機も備え自走するもの)を建設車両と言う。ダンプカー、ロードローラー、ブルドーザー、ショベルカー、ホイールローダーなど非常に多岐に及ぶ。
建設車両の一例、ホイールローダー
軍事用の車両は軍用車両と分類されている。戦車や装甲車、自走砲などをはじめとして多岐に及ぶ。
工場構内、倉庫、配送センター、駅、港湾埠頭、空港等などで使用される荷役運搬用の車両は「産業車両」と分類されている[2]。たとえばフォークリフト、構内運搬車、構内牽引車、ストラドルキャリアなどがあり、近年では無人搬送車システムもある。空港のものとしては、旅客機を所定位置まで牽引するトーイングトラクター(トウトラクター)や、旅客機の(高い位置にある)貨物室の荷物の積み下ろしを行う目的のX字構造リフトを備えたハイリフトローダー、ベルトコンベア式に荷物の積み下ろしを行うベルトローダー、(またハイリフトローダーやベルトローダーと空港ターミナルビルの間で)荷物を運ぶタグ車などが産業車両である。また、築地市場(豊洲市場)で走り回っているターレットトラックも産業車両に当たる。
市場などで商品の運搬に使われるターレットトラック
農業用の車輪付の乗り物については、「農業用車両」と言うことも稀にあるものの、大抵は作物を収穫するための機械装置や土壌を耕すための機械装置など、大型の機械装置が物理的に車両の大部分を占めている。それこそが肝心な部分で、(たとえ車輪を備えた物や車両であっても、車両には分類しづらく感じられるものも多いので)むしろ「農業機械」と分類し、そのカテゴリや概念枠で一本化して扱うことが、学問的にも農業の現場でも一般的である。ただし「農業機械」には車輪を備えないもの、つまり全く車両でないものも多々含まれているので、一応ここで 農業用の車両を挙げておくと、トラクター、耕運機、(自走式)バインダー、(自走式)とうもろこし収穫機、(自走式)ばれいしょ収穫機、(自走式)ビーンカッターなど、非常に多岐に及ぶ。
農業で用いられる車両の一例、トラクター
車両は、大抵は特定の目的の車両に焦点を当てたうえでのことだが、車輪の数で分類されることもあり、二輪車(two-wheeler)、三輪車(trike トライク)、四輪車([注 1])、六輪車(six-wheeler[3])などに分類される。また、車輪は一応あるものの無限軌道を備えていることが特徴の「無限軌道車」という分類もある。
荷車で二輪のもの。
自転車で二輪のもの。
自転車で三輪のもの。
F1のレーシングカー(一般的な四輪のマクラーレン・MP4/4)
F1のレーシングカーだが、珍しい6輪のタイレルP34
脚注
注釈
出典
車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 10:27 UTC 版)
導入メーカーは、一般路線車はいすゞ、特定車は三菱ふそうに統一されている。台数は少数で、2012年時点で16台しか在籍していないが、ノンステップバスの導入率が高い(茨城県最高率)。千葉県に路線を持つ関係で排出ガス規制(自動車NOx・PM法)による規制の為代替サイクルが約15年前後と短い。一般車は2012年時点で、97年式以降の3台のみが在籍している。原則大型車は2001年以降、ノンステップバスを導入しているが、2005年と2012年に限って、ワンステップバスが1台ずつ導入された。2012年に導入された車輌は中型車(エルガミオ)である。ノンステップバスに関しては、車輌によって塗装が異なる。従来の赤帯に加え、3色のストライプが車体の前後及び中扉部に施行されている。廃車車輌は解体になる場合が多いが、2003年に関鉄グリーンバスに譲渡した実績を持っている。2021年1月に土浦200か1300が羽後交通に移籍した。 ノンステップ車両。新塗装車両。 従来塗装車両。 取手市コミュニティバス「ことバス」車両。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 07:21 UTC 版)
主に各駅停車として使用されている客車はいずれも日本車輌製造製(名称はギャラリーカー)である(組立てはゼネラルエレクトリック)。ドア上部には日本車輌製造のロゴと、製造年が表示されていることが確認できる。急行の客車はボンバルディア製(名称はバイレベル・コーチ)である。ただし、2007年9月現在、種別にかかわらず各停用、急行用の客車が混用されていることが確認されている(混結は行っていない)。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/24 07:51 UTC 版)
4トンの冷蔵車が主力で、一部2トンや10トンのトラックも使用している。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 00:57 UTC 版)
4トンの冷蔵車が主力で、一部2トンや10トンのトラックも使用している。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 07:34 UTC 版)
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 02:54 UTC 版)
「アデレード・オーバーン」の記事における「車輌」の解説
オーバーンで初めて運用を開始したバスは、1985年に購入されたメルセデス・ベンツ製の41台の非連節式および51台の連節式のO305型(英語版)であった。このバスは南オーストラリアのプレスメタル社が車体を製造し、三菱自動車工業のクローベリーパーク工場にてオーバーン用に改造された。この製造費は当初の予算である9800万ドルに含まれていた。当初導入予定だったMAN製のSG280型・SL202型(英語版)は後に導入された。メルセデス・ベンツO305型の最大耐久年の25年が近づくにつれて、2007年から代替車が導入されるようになった。このバスはスカニア製のK230UB型、K280UB型(英語版)とK320UA型(英語版)をつなげた低床バスであった。2015年4月からは、MAN・SL2021台とメルセデス・ベンツO405NH1台が組み合わさった低床バスも運行している。 故障した場合、「ダンボ(Dumbo)」と呼ばれる特別に設計された車両がオーバーンからバスを引き上げる。計画の初期段階では、全てのバスが牽引能力を持つように設計していたが、バスの運転手たちの労働組合に反対されたため、ダンボを導入した。走行中にタイヤがパンクした場合、補助タイヤがバスが突飛に動くことを防ぎ、小さいアルミ製の内タイヤが支えることによって、最寄りの駅まで40 km/hで運行することが出来る。 フロントホイールの前に突出している補助タイヤはバスがオーバーンを走行する上で最も重要な部分である。この補助タイヤはステアリング構造と直結しており、線路端のガイドにそって走ることによってバスを操縦している。この補助タイヤがあるため、オーバーン上を走行しているときに厳密に言えば運転手はステアリング・ホイールを操縦しなくても良いが、安全上運転手は常に状況に注意する必要がある。駅の前にあるランブルストリップスは、運転手に操縦する必要があることを認識させる。補助タイヤはこのシステムの中で最も繊細な部分であり、強い衝撃を加えると外れてしまう。そのため、オーバーンが開通する前に一般道を走る多くのバスに補助タイヤを付けて耐久性のテストをした。運転手は、カーブでの補助タイヤへの衝撃の後、一般道でより慎重に運転するよう強制されている。 アデレード・メトロによって運行されており、2015年には、平日で1日あたり約3万1000人を乗せた。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 08:34 UTC 版)
近鉄系バス事業者らしく日野車を主体としているが、三菱ふそう車・いすゞ車も在籍している。また、日野車は純正の日野車体架装車以外に富士重工架装車を多く所有していたことでも知られ、その中には奈良観光のみが導入した、低運転席仕様の7Sボディなど稀少な車種も見られる。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 02:46 UTC 版)
1979年就役の単一系列が運行にあたっている。MI79はRATPの系列名で31編成はMI79A、38編成はMI79B、SNCFでの系列名はZ8100で50編成。A線と同じようにRATP区間は直流1500V、SNCF区間は交流25000Vの異電源なので交直両用車両である。1998年には改良型のMI84系が投入された。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 23:27 UTC 版)
詳細は「サウスショアー線の日本車輌製造製電車」を参照 2014年現在、サウスショアー線は1982年より2009年にかけて製造された日本車輌製造製の計82両の電車で運行されている。それまでは、1920年代後半にプルマンおよびスタンダード・スティール・カー(1929年にプルマン社傘下となり、1934年に同社と合併、プルマン=スタンダード・カー・マニュファクチャリングに改組)の2社により製造された大型鋼製電車が50年以上の長きにわたって運行されていた。 現行車両のうち68両は一階建てで、残る14両はギャラリーカーと呼ばれる車内が吹き抜けになった2階建て電車(ハイライナー)、いずれも車体はステンレス製である。 大半の車両は、中央に高床ホーム用の両開きドアを備え、両端デッキ部には低床ホーム対応の1枚ドアを有する。この1枚ドアの下部にはステップが備えられており、低床ホームの駅で乗務員が操作する。このとき、各車とも1箇所のドアしか開かれない。高床ホームではスムーズな乗降のためすべてのドアが開かれる。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 15:14 UTC 版)
詳細は「en:List of Via Rail rolling stock」を参照 2014年12月31日現在、VIA鉄道は75両の機関車と376両の客車を保有している。これにはディーゼル機関車のGMD F40PH-2やGE ジェネシス、そしてカナディアン号やスキーナ号で編成のしんがりを務める有名な「パーク」カー(寝台・2階建て展望車の合造車)などが含まれる。ほとんどの車輌がスーパーライナーやアムフリートなどの新車に置き換わった米国のアムトラックとは異なり、この「パーク」カーのように1950年代・1960年代に製造されたような古い客車が今なお主力として使われている点がVIA鉄道の大きな特徴となっている。2018年12月、VIA鉄道はケベックシティとウィンザーを結ぶ列車をシーメンス製新型客車に置き換えると発表した。2022年より運行開始され2024年までに全車置き換えの予定である。 F40PH-2形ディーゼル機関車(先頭) VIA鉄道の客車 展望ドームカー(「パーク」カー)
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 22:13 UTC 版)
※車両の陣容は2020年1月25日現在。 一般乗合用13両。路線用車両は、観光貸切車の格下げ車など、トップドア車両のみであったが、2003年からは親会社であった東急バスなどから中古車輌を購入し、現在では名古屋市営バスや神奈川中央交通からの中古車輌も加わり、観光タイプのトップドア車が10両、路線バスタイプの2扉車が3両となっている。 一般貸切用車輌14両(大型車8両、中型車3両、小型車(マイクロバス)2両)車輌メーカーは日野、三菱ふそう、トヨタの国内3メーカーの車両が配置されている。 昔は日産ディーゼル工業やいすゞの車両も配置されていた。特にいすゞ車は1台のみの配置であった。 ※日産ディーゼル工業は現在のUDトラックスだが、当社にはUDトラックス社になってから製造された車両は在籍していない。 社番の振り方4ケタで標記される。一般乗合用車両が2000番台、大型貸切車は5000番台、中型・小型の貸切車は8000番台又は800番台を付与される。いずれも車両の導入順に付番され、メーカーによる区別は無い。下2ケタの42、49は欠番、また、下1ケタの4と9は一部の例外を除き原則として欠番となっている。1987年以前は、日野車が1100番台、日産ディーゼル車が1200番台、三菱ふそう車が1300番台をそれぞれ付与され、車両の導入順に付番されていた(この当時から下2ケタの42、49は欠番とされていた)。 カラーリングは東急バスに準ずる。 当社の車両は、数年間広告枠が設けられていなかったが、2008年7月中旬から2009年末までは、一部の車両にマグネット式で脱着可能な広告が復活した。広告主はサンドイッチのチェーン店「サブウェイ」であった。現在、サブウェイ旧軽井沢店の閉店に伴い、再び広告が無くなっている。 日野・K-RC701P(2012年まで運行された後廃車となり、銀河鉄道に譲渡された。) 東急バスから移籍した乗合バス車両 かつて運用されていた貸切格下げ車 JRバス関東から移籍した乗合バス車両 貸切車。定期観光バスなどに使用される。日産ディーゼルU-RA520RBN 広告復活時の草軽交通の車両。前面、側面、後側に付けていた
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 22:38 UTC 版)
「ヴッパータール空中鉄道」の記事における「車輌」の解説
ヴッパータール空中鉄道で採用しているランゲン式モノレール方式では、鋼鉄製の両フランジの車輪が、その溝の間に鋼鉄製のレールをはさむことで支持・案内を行い、その下に車体をぶら下げるという方式になっている。モノレール・ソサエティでは「ランゲン式」という名称を用いず「両フランジ式懸垂モノレール(Suspended - Double Flanged)」と呼んでいる。 レールは片持ちで支えられ、車輌はレールとは逆側に伸ばされたアームで台車にぶらさがるかたちになる。この構造のため、走行系は左右が非対称となっており、線路と車輌の方向は決められてしまう。通常の鉄道車輌では180度方向転換をしてもそのまま走ることができるが、ランゲン式では不可能である(そのため、ヴッパータール空中鉄道では、複線とした上で両端駅にループを設け、全体としてドッグボーン型のレイアウトを構成し、問題を回避している)。 動力は600ボルトの直流が採用されており、車輪はモーターによって駆動される。当初はモーターと車輪はローラーチェーンで結ばれ駆動されていたが、その後投入された車輌ではウォームギヤ駆動に変更されている。1台車1モーター2軸駆動である。 2008年現在で主力の車輌は、1970年に製造されたもので、全長24メートルの4ドア車。一編成あたりの座席数は48席で、立席には約130名が乗ることが可能。最高速度は60km/hで、路線全体の平均速度は約27km/hとなっている。 他に、1900年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が試乗したお召し車輌が動態保存されており、記念列車やチャーター列車として運行されることがある。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 06:12 UTC 版)
中津営業所は三菱、耶馬溪営業所と高田営業所はいすゞ、安心院営業所は日野と日産ディーゼルが主力である。 2003年、高田観光に大分交通の旧塗装をまとった車輌が登場(路線車のみ)。 大交北部バス発足後、在来車への塗り替えが進んでおり、特に高田営業所は大半の車輌が塗り替えられている。 大交北部バス発足後しばらくは新車の導入は無かったが、2007年にいすゞエルガミオワンステップ(PA-LR234J1改)、2009年と2010年に同ノンステップ(PDG-LR234J2)がそれぞれ導入された。 豊後高田市から受託しているいすゞ製ボンネットバスも、当社に車籍がある(所有は豊後高田市)。 大分交通本体から移籍した車両は、当初は側面のLED行先表示器や車内のICカード読み取り機を撤去している。両替機もICカード対応から廃車発生品と思しき非対応のものに替えている。2019年秋以降は中津営業所と高田営業所所属車はLED行先表示機はそのまま残置、稼働している(ICカードは未導入) 高田営業所には元遠鉄バスなどのワンステップバスもある。主に四日市発着(宇佐駅・宇佐八幡経由、長洲・柳ヶ浦経由の両方)で使用している。 2019年秋以降、安心院営業所にもワンステップバスが転属してきた。 イオンモール三光シャトルバスもトラバス(緑と黄色の在来カラー)に塗り替えたワンステップバスに置き換えられた。その後、2ドア車に置き換えられたが、中央の乗降口は使用停止している(前方の乗降口から乗り降りする)。他にも通常の路線バス用に2ドアの車両はあるが、中央や後部の乗降口は使用停止して前方の乗降口のみ使用のバスも多い。
※この「車輌」の解説は、「大交北部バス」の解説の一部です。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 03:39 UTC 版)
1970年代から80年代にかけて製造されたソ連製や、新型のウクライナ製など数種が運用されている。新型車輌はクレニーウスィカ・チェルヴォノアルミースィカ線を中心に運用されており、一方でスヴャトーシノ・ブロヴァールスィカ線にはソ連製の旧型車輌が多い。車輌はいずれも3ドアである。いずれの車輌も車内にサムスン電子製のLCD式の車内案内表示装置を備えており、駅案内やコマーシャルが流されている。車内表記と放送は全てウクライナ語である。さらに、到着時には英語での駅名アナウンスも行われている。 車体塗装は青色に、黄色の帯を入れてウクライナの国旗の色に仕立て上げられている。先頭車輌側面には、国章である「トルィーズベツィ」が付けられているものもある。また、キーウ市の宣伝のラッピングをした特別車輌も走っている。これには国章の他、キーウの市章である大天使ミカエルが描かれ、また黄色の尾を引く流星もあしらわれている。 特に旧型車輌は自動ドアの閉まり方が急速なので、乗車の際には注意が必要である。
※この「車輌」の解説は、「キエフ地下鉄」の解説の一部です。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:53 UTC 版)
「わが青春のアルカディア」の記事における「車輌」の解説
ゼーダ用エアカー 全長9.8m、全高2.7m。ゼーダが使用するジープタイプのシャープなデザインのエアカー。座席は4つで、運転席が前にある。動力は反転式熱水素エンジンで、ガスレーザー砲を武装として2門搭載している。 軍用エアカー 円盤型のイルミダスエアカー。大空港での戦闘で登場。 電波探知エアカー 全長12m、全高2.5m。単座のエアカーで名前通り、マーヤの地下放送を探り当てるのに重要な役割を担ったと思われるが、本編には登場しなかった。乗員数は2名。探知用ながらガスメーザン砲一門も武装として装備している。 消防車 大空港のシーンで登場。消火活動では無く、暴徒鎮圧に用いられる。 パトカー 序盤の酒場のシーンで乱闘を押さえるために出動。劇場版『999』にも登場したタイプ。
※この「車輌」の解説は、「わが青春のアルカディア」の解説の一部です。
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車輌
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「フェンリル (フロントミッション)」の記事における「車輌」の解説
IRSV フェンリルシステム対応のロケット/ミサイルランチャー搭載車両。IRSV400A ミサイルランチャー搭載。 IRSV400B A型をロケット砲からミサイルランチャーに変更したもの。対空・対地両方のミサイルが装備可能で、装弾ミサイルの選択もすべてフェンリルが行う。 IBT01 フェンリルシステム対応の戦車。A,B型が存在。IBT01F A型の重装備型として2100年に開発。主武装は130mm砲に変更され、副武装である機関銃が12.7mmに変更されている。 IAM02 フェンリルシステム対応の特殊装甲車。 IAM02A 前部砲塔に機関砲塔を装備。 IAM02C A、C型の前部砲塔に装備されていた機関砲塔を撤去し、距測装置を中心とした光学センサー類を装備したタイプ。後部後塔の武装も光学センサーと連動した30mmガトリングガンに換装されている。 IAM02D 前部砲塔に機関砲塔を装備。
※この「車輌」の解説は、「フェンリル (フロントミッション)」の解説の一部です。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 00:04 UTC 版)
「超時空要塞マクロスの登場メカ一覧」の記事における「車輌」の解説
XM-3002 ジャンキー (テレビ版) 大気圏内外両用の6輪バギー。開発メーカーはGN。低重力下の不整地走行に対応しており、車体は前後に分かれている。第7話で火星サラ基地に向かう早瀬未沙が運転する。 M-299 シュガーフット (テレビ版) 6輪ジープ。開発メーカーはセンチネンタル。マクロス艦内では専ら連絡用車輌として使われる。 DL-88 センチピード (テレビ版) 大気圏内外両用の10輪大型物資運搬車。第7話で火星サラ基地からの物資補給に使用。 整備車輌 (テレビ版) 電源車、牽引車、給水車、大型クレーン車など。おもにプロメテウス艦内でバルキリーの整備にあたる。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 08:15 UTC 版)
第二次世界大戦で戦車を有効活用したナチス・ドイツでは、開戦時にはダークグレーが基本塗装色となっていたが、北アフリカ戦線において迷彩色として用いられたサンドイエローがヨーロッパ戦線においても有効である事が示され、後期には基本色がダークイエローに変更された経緯がある。更に前線で上に2色を重ねた3色迷彩が施され、また冬季の降雪時には上から石灰の水溶液などを塗りつけた冬季迷彩が施された。アメリカ軍はベトナム戦争時期までオリーブドラブ単色だったが、1970年代にサンドブラウンを基本にした4色迷彩を採用した。しかしコストや標準化の都合により、80年代にはNATO軍と同じ3色迷彩に切り換えている。湾岸戦争・イラク戦争では現地に合わせたサンド系の塗装が施された。近年は市街戦に適した幾何学的パターンの迷彩も登場している。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 08:15 UTC 版)
陸上自衛隊の車輌は元々オリーブドラブ単色で塗装されていたが、1990年代に入り、茶色や黒などを使った大柄の迷彩塗装が施されるようになった。現在の陸上自衛隊の車輌の大半(トラックなどは除く)はこの迷彩塗装が施されているが、イラク派遣の際には迷彩服と同じく"日本の平和復興部隊の駐留"であることを強調するためにOD単色に塗り替えて派遣された。航空自衛隊はパトリオットミサイルや軽装甲機動車のような戦闘車両を保有しているが、陸上自衛隊のように迷彩塗装は施しておらずOD単色で塗装されている。
※この「車輌」の解説は、「迷彩」の解説の一部です。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 07:51 UTC 版)
「フェラーリ・チャレンジ」の記事における「車輌」の解説
参戦する際は、各国のフェラーリの正規ディーラーを通じてフェラーリ・チャレンジ専用車輌を購入し、参戦申し込みをすることが必要である。専用車輌以外での参戦は不可能で、また日本から参戦する場合、専用車輌であってもフェラーリ・ジャパンおよびコルセ・クリエンティの承認を得ていない並行輸入車での参戦は認められない。 なお、マシンを購入しての年間エントリーだけでなく、コルセ・クリエンティや各国の現地法人、正規ディーラーが所有しているレンタルマシンを使用しての1戦ごとのスポット参戦や、1台のマシンを数人でシェアしてのシリーズ参戦も可能である。 また、フェラーリのブランド維持の観点から、マシンやトランスポーター、レーシングスーツなどの塗装やスポンサーロゴの大きさ、貼り付け場所やデザインなどについての厳しいレギュレーションが設定されている。
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車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:44 UTC 版)
700T型JR東海、JR西日本共同開発の700系の改良型。1編成12両。定員989人。全長約304m。 製造 川崎重工業、日立製作所、日本車輌製造 増備車当初は700T型を2008年と2010年に8編成ずつ、2018年に5編成の増備が予定されていたが、開業が遅れたことにより、この日程もずれている。 2008年11月20日に台湾高鐵公司は2011年以降に新型車両の投入を表明、その後2012年4月19日に同公司の取締役会で66億2112万台湾ドル(約183億円)を投じて従来と同じ700T型電車4編成48両を2013年から2016年にかけて購入し、増備することを決定した。2015年に予定されている新設4駅の開業や休日ラッシュ時など増加し続ける輸送人員に対応するためである。かねてから一部装備の台湾メーカー参入がアナウンスされていたが、普通車座席(標準車廂座椅)に台湾製が導入される。 業務用車両入換機DD14 331(元JR西日本) DD16 20(元JR東日本大宮総合車両センター) 工事の際の建築限界測定車牽引及び燕巣総合車両工場での入換用として、車両番号や塗色の変更を施されることなく使用されている。軌間は標準軌に改軌され、車両牽引のため中間連結器を常時装備している。 建築限界測定車0系21-5035(元JR西日本) レーザー光線を使用した光学式建築限界測定車に改造され、開業前に牽引、推進運転して使用された。 DD14 DD16 元0系の建築限界測定車 限界測定車のマーキング
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車輛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 20:46 UTC 版)
LRDGの車両は主として2輪駆動で、4輪駆動よりも軽量であり低燃費であるという理由で選択されたものであった。扉や風よけ、屋根といった不用部分は全て取り払われた。さらに大型のラジエーター、そして復水器、苛酷な地勢に備えて組み込まれた板バネ機構、幅広で低空気圧の砂漠用タイヤ、砂敷きや溝形の鋼板、加えて地図収納やバグノルドが考案した太陽羅針盤(英語版)が搭載されていた。無線通信トラックには無線設備に場所を設けるため、車体に特別の区画が備えられていた。当初、LRDGの巡視隊は1両のカナダ軍仕様(CMP)フォード・15cwt F15トラックを指揮官用として、一方その他は10両に至るシボレー・30cwtの158.5インチ・ホイールベース(「WB」)・トラックを用いていた(いくつかの文献に現れる「WA」型は、同型車両の133インチ・ホイールベース版であるようである)。1941年3月以降、シボレーの30cwtはCWPフォード・30cwt F30へと換装されたが、4輪駆動やシボレー車に比較した車重の増加は燃料消費の倍加を意味し、巡視活動の範囲を狭めたので、ある面ではこれは退歩であった。1942年3月からフォード車は暫時、LRDGのために特注された200台のカナダ製シボレー・1533X2 30cwtに入れ替えられていった。1942年7月から、ウィリス・ジープ(英語版)が巡視隊指揮官と巡視隊軍曹のために供給され始めた。
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車輛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 20:26 UTC 版)
社線と国線の車輛は同形式のものが用いられていたが、その一方で国線には元々が私鉄を接収した路線ということもあり、かなり遅くまで各社から引き継いだ車輛が残されていた。 国鉄発足の際に接収した路線については、機関車と客車で明暗が分かれた。機関車は形式こそばらばらであったものの、基本的な車体構造は満鉄の機関車とほぼ同じであったり、それどころか満鉄の工場で製造されたものもあったりと、著しく規格外れな車輛はなかった。このため接収後しばらく旧番号で使用された後、1933年10月に行われた称号統一で国線の機関車として満鉄式の称号を与えられて長く使用された。 一方、客車は満鉄の客車と比べると規格外れ、雑多で特異というべき規格の車輛が極めて多く、そのまま使用し続けることが無理であった。このため満鉄側ではこれらの雑多な車輛に「9」のつく形式(「ハ9」など)や旧鉄道会社名+形式(「瀋海ロネ1」など)という特殊な形式を与えて使用し、徐々に廃車として行った。 また1935年接収の旧北満鉄路の車輛については、規格の違いが特に激しいものとなった。これは北満鉄路が軌間5フィートであり、車輛もその規格に合わせてあったためで、社内では「広軌車輛」と呼ばれた。これらの車輛は、高い車高に旧式のバッファ式連結器、客車の場合は暖房が個室でストーブをたく独立暖房方式であったりと、全てが満鉄の車輛と違う異端児であった。 このような事情のために他の車輛と同じ扱いは出来ず、機関車は通常の称号+アルファベットのつく形式(「テホA」など)、客車は通常の称号+「オ」のつく形式(「ハオ」など)を付与されて使用された。その後、旧北満鉄路の路線の標準軌への改軌が進んだ際も、老朽車が多いことから基本的に改造を行わない方針が採られたため、これらの車輛は改軌に追われて北満をさすらいながら次々と廃車されて行った。 一部の例外として、機関車では車齢の若いデカA形44両・ダブA形6両が標準軌仕様に改造され、それぞれデカニ形・ダブロ形→サタイ形として国線の機関車に組み入れられ、客車でもごく一部が改造を受けて引き続き使用された。ただし終戦まで国線の車輛として務めを全うしたのは機関車のみで、客車は長続きせず1943年頃までに全て廃車となっている。 なお未改造の機関車も全てが全て廃車になったわけではなく、営業用に使用されなくなった後、哈爾浜にあった哈爾浜工場に多い時で100両近く、最終的には70両ほどが留置されていたことが確認されている。使用出来ない車輛を残していた理由については判然としていないが、市原善積編『南満洲鉄道 鉄道の発展と機関車』では仮想敵国として警戒していたソビエト連邦と戦闘状態になった際、ソ連側の鉄道へ乗り入れられるようにするために残してあったのではないかと推測されている。 ちなみにこの旧北満鉄路区間の改軌前、引き継がれた機関車に混じって、社線と同形の機関車が5フィート軌間・バッファ式連結器の仕様で投入されて使用されていたことがある。改軌後は再び改軌と連結器改造を受け、そのまま国線の車輛となった。
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車輛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 00:05 UTC 版)
当線の車輛については車号を「101」とした竣工図表が存在し、車輛の詳細が分かるようになっている。 それによると貫通扉を中央に配した3枚窓の前面を持つ第三軌条方式の車輛で、調査を担当した大阪市電気局(のちの大阪市交通局)が当時市営地下鉄で使用していた100形・200形・300形に準じている。 しかし車輛の大きさは全長15.7メートル、高さ3.4メートル、幅2.58メートルに抑えられ、車重も34.5トンと小柄であった。 特筆すべきは窓配置と扉である。d2(1)D(1)3(1)D(1)2(1)D(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)という車端部に乗降扉を配した3扉車で、しかもうち2つが両開き、車端部の扉のみ片開きという変則的なものであった。 また編成を組まずに必要に応じて増結・解結が出来るようにと全て電動車とされた。このため両運転台であり、前面に向かって右手に運転台が存在した。電動機は特に多くする必要がないとして140キロワットのものを片方の台車に2個装備していた。車内はロングシートで、定員は120名、うち座席定員は46名であった。 行先表示板は大阪市営地下鉄の車輛では転落防止柵がついていた関係で貫通扉についていたが、こちらでは柵がないため前面に向かって右側に掲出出来るようになっており、左側に車号を掲出していた。 なお車体塗色に関しては「明快なる車体内外の塗装をなすこと」とのみ記載されており、具体的な色の指示はない。
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車輛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:24 UTC 版)
形式名は、林野庁所属の車両には、機関車は国鉄同様の機関の種類(D:ディーゼル)、同軸数(B:二軸)、更に空気ブレーキ対応車はTの順のアルファベットが付けられ、これに整備重量のトン数を加え形式としていた(例:DBT10)。非牽引車は、用途や車体サイズで分けられた種別ごとに、A型、B型、C型…とアルファベット順に分けられていた。また、一両ごとに形式とは別の通し番号もつけられていた。なお、この付番方法では同一形式に異なる車種が含まれており、村所属の車両等では無番号の車両もあるため、ここでは便宜上、メーカー側の形式名や、俗称、種別を記載する。
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車輛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 05:30 UTC 版)
(王子製紙馬車鉄道/森林鉄道) 蒸気機関車 コッペル製 8.7t Bサイド・ボトムタンク型1台 1925年製造 1951年頃廃車。樺太工業恵須取工場から王子製紙落合工場(樺太)を経て移籍。当鉄道と共に営林署に買収されるが休車となり、王子製紙苫小牧工場へ移籍するも間もなく廃車。 クラウス製 8.5t Bボトムタンク型1台 製造年不明 1951年頃廃車。王子製紙落合工場から移籍。上記機関車同様、営林署で休車後苫小牧工場へ移籍し、間もなく廃車。 内燃機関車 不明 (営林署直営森林鉄道) 蒸気機関車 元・日立製作所笠戸工場製 13t Bサイドタンク型 3台を、1951年導入にあたり同年9月協三工業(以下 協三と略)にて1Bサイドタンク・テンダー型に改造。住友鉱業鴻之舞鉱業所より移籍。 S-171 1941年12月製造 1956年6月廃車 S-172 1941年12月製造 1956年6月廃車 S-173 1942年2月製造 1956年6月廃車 内燃機関車 10tディーゼル機関車 1954年導入 C型 協三製DB型 2台、B-B型 酒井工作所(以下 酒井と略)製DA57型 1台 1958年導入 C型 協三製DB型 1台 1960年導入 ?型 協三製DB型 1台 (丸瀬布営林署より移管) 9tディーゼル機関車 1963年導入 B型 協三製UD型 1台 (羽幌営林署より移管) 8tディーゼル機関車 1960年導入 B-B型 酒井製DS11F3型 1台 (置戸営林署より移管) 7tディーゼル機関車 1957年導入 B型 協三製DS12A型 2台 1961年導入 B型 加藤製作所(以下 加藤と略)製DS11型 2台 (陸別営林署より移管) 1963年導入 B型 酒井製DS11型 3台 (羽幌営林署より移管) 5tディーゼル機関車 1950年導入 B型 加藤製KE5型 2台 1951年導入 B型 加藤製KE5型 5台、B型 加藤製DA型 3台、B型 協三製DA43型 1台 1961年導入 B型 加藤製KE5型? 1台 (陸別営林署より移管) その他 貨車 590両、緩急車 7両
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