座席郵便荷物合造車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 03:46 UTC 版)
「国鉄60系客車」の記事における「座席郵便荷物合造車」の解説
当初の計画では17m級のままでの鋼体化が計画されたが、結局全形式とも20m級として改造工事が実施された。 オハユ61形3等座席郵便合造車で、1955年に11両が鋼体化改造により製造された。 オエ61形に改造された1両を除き、1967年 - 1973年の間に全廃された。 > 番号新旧対照 オハユニ61形3等座席郵便荷物合造車で、1952年から1956年までの間に130両が鋼体化改造により製造された。大量に製造された理由としては、当時国鉄では使用に耐えられない木造車を緊急廃車にした際、郵便車が不足したためである。 客室デッキ側から見ると、3等座席・郵便室・荷物室の順で3室が配置されている。 106以降は、郵便室と荷物室の位置が逆転している。 1960年代から荷物車などへの改造や廃車で減少し、1984年には2両を残すのみになり、最後まで残った106・107の2両は五能線用での使用を最後に1987年に除籍されたが、107は高崎での長期留置を経て、碓氷峠鉄道文化むらで静態保存されている。 また、2両が1970年に「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーン列車「ポンパ号」用に改造され、全国を巡回した。 > 番号新旧対照 スハユニ62形オハユニ61の北海道向け車。1952年に20両が鋼体化改造により製造された。構造は、オハユニ61形の前期形(1 - 105)と同じである。 大部分がマニ60形に改造され、スハユニのままで最後まで残されたのは6両のみである。最後の1両となったスハユニ62 10は当初は苗穂区に配置されたが、最終期には都城区に転属され、1984年に廃車された。 > 番号新旧対照 オハユニ63形3等座席郵便荷物合造車で、オハユニ61形と異なり、郵便室・荷物室が共用構造となっている。1954年に40両が鋼体化改造により製作されたが、1960年から1962年にかけて全車マニ60形に改造された。 > 番号新旧対照 オハユニ64形オハユニ63の北海道向け車で、1954年に10両が鋼体化改造により製造されたが、1962年・1963年に全車マニ60形(電気暖房付2000番台)に改造され、本州各地に転属した。 > 番号新旧対照 スハニ61形→オハニ61形1950年 - 1955年に475両が鋼体化改造により製造された3等座席荷物合造車。ただ、ス級ではローカル線での牽引両数確保に問題があるため、1954年に荷物室の荷重変更により、全車がオハニ61形に形式変更された。形式変更以降の製造車は当初からオハニ61形。 この形式のうちの14両(501 - 514) は、北海道向け車として1重窓ながら蓄電池の大型化などの対策を実施の上で製造されたが、1重窓であったことなど耐寒耐雪が徹底されていなかったことが災いし、登場後数年で水戸や秋田などに転属したものが存在した。車掌用の後部確認窓が無く、後部標識灯の取り付け位置が、高い位置に設置された車両が存在している。 > 番号新旧対照 スハニ62形スハニ61形の北海道向け車で、1952年から1956年の間に45両が鋼体化改造により製造された。 > 番号新旧対照 オハニ63形→オハニ36・スハニ37形優等列車用の三等座席荷物合造車で、三等室はスハ43系に準じた造りである。製造当初は、暫定でTR11を装備しオハニ63形と称していた。1955年から1956年の間に30両が鋼体化改造により製造され、優等列車に充当された。 しかしTR11は高速走行時のピッチングが激しく、優等列車用に適さないため、1956年から1957年の間に、台車を軽量客車で使用されているTR50系に準じた設計のTR52に交換し、オハニ36形に形式変更された。また、電気暖房装置を取り付けられたオハニ36形は、重量増によりスハニ37形に改形式された。 > オハニ63形番号新旧対照 > オハニ36形番号新旧対照 > スハニ37形番号新旧対照 JR東日本にイベント列車用として残るオハニ36 11(水上駅) オハニ36 11のTR52A形台車 スハニ64形オハニ61形の電気暖房取付け改造車。改造による自重増で重量等級が変更されたために、別形式が起こされた。 > 番号新旧対照
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