製造当初
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 12:46 UTC 版)
製造当初は神戸線の昇圧による改造開始まで暫くの期間があったため、当時の標準的な編成であったTc-M-T-Mc+Tc-Mcの4+2両の6両編成で登場した。1966年以降は神戸線の昇圧が近づいたこともあって、Tc-M-Mc+Tc-M-Mcの6両編成での製造に変更されるとともに、それ以前に製造された編成についても、3500形を新造して昇圧に備えた。 1966年に宝塚線、翌年に神戸線で開始の7両編成運転に際しては、6両編成の3000系・3100系に2000・2021系の付随車の編入も行われ、Tc-M-T-M'c+Tc-M-M'cの構成となった。1967年(昭和42年)には、最後まで単独M車が残っていた5本が3500形を組み込んで2両ユニットに変更されて昇圧準備が完了した。
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