最終期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 23:50 UTC 版)
「フレデリック・ディーリアス」の記事における「最終期」の解説
1929年からの4年間、フェンビーの助けを得たディーリアスは2つの主要作品を生み出し、しばしば若い頃に書いて未出版のままになっていた作品を掘り起こすなどして、いくつかの小品を書き上げた。主要作品のうち1作目は、彼が以前に「人生と愛の詩」という題で収集していたスケッチに基づく管弦楽曲「夏の歌」である。この作品の新たな開始部を口述するにあたって、ディーリアスはフェンビーに「想像してくれたまえ。ヒースの生い茂る崖に腰掛けて海を見渡しているところを」と問いかけた。これは口述の過程が穏やかで余裕に満ちたものだったという意味ではない、とフェンビーは言う。雰囲気は大抵荒々しく、神経がおかしくなるようなものだった。もうひとつの主要作品は、ウォルト・ホイットマンの詩に付した「告別の歌」と題する楽曲である。こちらはフェンビーにとってさらに驚くべき展望を持つ作品であった。「実に様々な方面への複雑な思考が、しばしば一度にやってきた。オーケストラと声楽のバランスの問題、より広い範囲の誤解の可能性(後略)」が組み合わさることによって、各部分が終わるごとにディーリアスと助っ人は疲れ果ててしまった。それでも、両作品は1932年には演奏可能な状態に出来上がったのだった。この最後の合唱作品の音楽について、ビーチャムは「強靭で、雄々しい生気、『人生のミサ』の偉大な合唱部の名残である雰囲気や性格」があると書き残している。ペインはこの作品が「ほとんどホルストのような明快さの中に位置づけられ、活力を持って勝ち誇った」楽曲であると記述した。
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