軽油動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 18:48 UTC 版)
ケハ3形101(第3期ジハ2形1) 高速ディーゼル機関の試験を目的として1934年に日本車輌で1両のみ製造された3等軽油動車。車体の基本仕様は同時期の揮発油動車キハ3形100番台(←ケハ4(甲型)200番台)に近いが、英国AEC製の130馬力ディーゼル機関を搭載し、前頭部に流線型を採用、妻面腰部にラジエターを配置することで床下は全周カバーする等の特徴がある。定員夏84人冬78人 自重21.5t。 ケハ3形202 - 205(第3期国ジハ1形2101 - 2104) 1936年に東京三菱のディーゼル機関を用いて日本車輌で4両製造された3等軽油動車。客室はキハ3形100番台(←ケハ4(甲型)形200番台)と同様の構成だが運転室と乗降デッキが分離された。定員夏84人冬78人 自重25.5t。 ケハ5形201 - 206(第3期国ジハ2形2201 - 2206) 1936年に新潟鐵工所及び三菱のディーゼル機関を用いて日本車輌で6両製造された3等軽油動車。定員夏92人冬86人 自重26.3t。 ケハ6形101,102(第3期ジハ4形101, 102) 1937年に2両製造された3等軽油動車。流線型両運転台。神戸三菱製8T13.5/T機関・シンクレアTC-50流体継手・コータル電磁遊星歯車変速機の組合せを片側の動台車に一括搭載した。機関が床上に飛出すため、その部分は機関室。定員夏82人冬76人 自重34.47t。 少なくとも1937年冬頃には上下ツートンに塗られて間(窓の下あたり)に帯がある塗装をしていた写真が残っており、その色は上部が「山鳩色」下部が「空(縹)色」間の帯が「黄(油)色」だったという。 ケハ7形201,202(第3期国ジハ3形2301, 2302) 1938年に2両製造された3等軽油動車。流線型片運転台の構造で2両で貫通固定1編成。三菱製150馬力機関・ホイト液圧式変速機の組合せを片側の動台車に一括搭載した。機関が床上に飛出すため、その部分は機関室。定員夏92人冬86人 自重34.5t。
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