事故廃車
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先述の1980年(昭和55年)2月20日の置石脱線事故により、初代5554が1980年12月29日付けで廃車となっている。
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事故廃車
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本系列全体では以下の4両が該当する。 クハ455-45 1973年9月8日に仙山線愛子 - 陸前白沢間で発生したトラックとの衝突脱線転覆事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#急行「仙山」衝突脱線転覆事故を参照のこと。 クモハ475-24+モハ474-24+クハ455-602 鹿児島総合車両所所属GK24編成。2007年3月5日に日豊本線加治木駅付近で踏切事故に遭遇。先頭車に組成されていたクモハ475-24が焼損。同月18日で運用終了が予定されていたことから、修復はせずに編成を組成していたモハ474-24・クハ455-602も含み廃車となった。
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事故廃車
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「国鉄キハ80系気動車」の記事における「事故廃車」の解説
キハ82 59・902 キハ80 9・76 キロ80 35 キシ80 4 1982年6月11日「オホーツク」1号で運用中に石北本線留辺蘂 - 相内間で枕木交換作業中の現場に進入し脱線。基本編成に組成されていた上述6両は現場で解体となり同年7月に廃車された。
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事故廃車
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「京王5000系電車 (初代)」の記事における「事故廃車」の解説
1979年(昭和54年)10月3日に武蔵野台駅東側の飛田給11号踏切においてトレーラーより転落した重機との二重衝突による事故で、クハ5871号が同年11月16日付で廃車され(詳細は「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#京王帝都電鉄京王線列車障害事故」を参照)、翌1980年1月末に高幡不動検車区にて解体された。この際に残った5121編成の2両は当時編成を組んでいた5713編成との変則6両編成で運用復帰した。後年、5721編成からクハ5771を抜き取って7両編成となった。他方でクハ5771を供出した5721編成は5716編成との変則7両編成を組成した。
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事故廃車
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クモハ381-4、モハ380-90 2009年8月31日に車両故障を起こした車両。パンタグラフを下げて応急処置を行ったが、復旧せず2011年2月15日に廃車となった。 モハ380-1055、モハ381-1055、モハ380-1044、モハ381-1044 2014年8月16日、豪雨で冠水した車両。北陸新幹線開業に伴い681系や683系が転用されたため同年12月13日に廃車となり、代替としてモハ381-1032・モハ380-1032・モハ381-1039・モハ380-1039が転用された。
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事故廃車
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「九広軽鉄Comeng電車」の記事における「事故廃車」の解説
1994年7月29日、1013号は屯門区湖山路踏切で右折禁止の標識を無視したトラック(大型トレーラー)と衝突して大破したため、すでに廃車されている。運転していた運転士は車外に放出され死亡。
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事故廃車
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「国鉄DF50形ディーゼル機関車」の記事における「事故廃車」の解説
10号機:1964年(昭和39年)6月25日・紀勢本線 多気発九鬼行き135列車牽引中に大曽根浦 - 九鬼間の土砂崩れにより崖下へ転落、炎上により廃車。 35号機:1977年(昭和52年)12月26日付で老朽廃車されているが、実際は事故後そのまま復旧されずに廃車されたようである。 39号機:1969年(昭和44年)1月24日・紀勢本線 名古屋発天王寺行き921列車を牽引中に紀伊日置駅付近で脱線、7m下の水田に転覆し廃車。 45号機:1972年(昭和47年)7月5日・土讃本線繁藤駅で土砂崩れ(地すべり)に巻き込まれ川へ転落し廃車。車両は現地解体。車体の一部はその後も穴内川に埋没した状態で残されている。 569号機:1978年(昭和53年)3月22日・予讃本線 高松発松山行き下り普通列車を牽引中、高瀬 - 比地大間の踏切でクレーン車と衝突し助士席側を破損する。本形式の置き換えが進んでいたこともあり廃車。 なお、1962年11月29日の羽越本線列車衝突事故で前頭部が粉砕されて炎上し、転覆した548号機はまだ車齢が若かったため土崎工場で修復された。その後米子機関区に転属し、1977年に廃車されるまで山陰本線で運用された。
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事故廃車
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モハネ583+582-59・95・サハネ581-53 1990年2月11日午前2時ごろに「ゆうづる1号」で運用中、仙台駅構内で結線ミスから発生したポイント誤動作による脱線転覆事故被災車。同年7月23日付けで廃車。
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事故廃車
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本系列は、余剰・老朽化以外で事故廃車になった車両が8両存在する。 サロ165-24 1968年11月23日に籠原電車区(現・高崎車両センター籠原派出)で発生した脱線事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#籠原電車区構内脱線事故を参照のこと。 クハ165-202 1970年7月1日に房総西線保田 - 浜金谷間で発生した脱線転覆事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#房総西線保田 - 浜金谷間急行「うち房」脱線転覆事故を参照のこと。 クモハ165-3+モハ164-3+クハ165-58 1977年3月8日に上越線津久田 - 岩本間で発生した脱線事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#上越線急行「佐渡」脱線事故を参照のこと。 モハ168-5 1977年7月25日に信越本線(現・しなの鉄道線)上田 - 西上田間で異常高温のためレールが歪む障害により発生した脱線事故の被災車。1978年3月10日付で廃車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#信越本線急行「信州」脱線事故を参照のこと。 ユニット相手方であったクモハ169-5は復旧後は休車となったが、1982年にクモハ169-9の故障廃車で余剰となったモハ168-9とユニットを組み直し運用に復帰した。 クハ165-190 1979年6月2日に発生した篠ノ井駅列車衝突事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#信越本線篠ノ井駅列車衝突脱線事故を参照のこと。 クハ167-2 1982年9月14日に伊豆急行伊豆急行線川奈駅構内で発生した脱線事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#伊豆急行川奈駅構内脱線事故を参照のこと。
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事故廃車
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1970年5月20日、根岸線新杉田 - 洋光台間で下り電車が土砂崩壊に乗り上げ、前位側2両にあたるクハ103-548とモハ102-169が大破した。その結果この2両は1971年3月27日付けで廃車となっている。モハ102-169とペアを組むモハ103-105は整備の上、新たに製造されたモハ102-445とペアを組んで復帰している(窓枠の異なる車両同士でのユニット)。 1988年12月5日、中央緩行線東中野駅構内に停車中の103系10両編成に、後続の201系10両編成が追突する事故(東中野駅列車追突事故)が発生した。103系の後位側9両(クハ103-277・モハ103-334・モハ102-490・サハ103-326・モハ103-21・モハ102-21・サハ103-327・モハ103-336・モハ102-492)のうち中間車8両が回復不能として1989年3月23日付けで、先頭車のクハ103-277が1989年7月25日付けで廃車となっている。 1994年8月3日、福知山線三田 - 新三田間で上り電車がトラックと衝突、前位側先頭車であるクハ103-839が大破した。その結果同車は1994年8月10日付けで廃車となっている。
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事故廃車
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老朽化・余剰化を除いた事故による廃車は本系列では以下の6両が該当する。 モハ115-34・クハ115-113 1987年2月12日午前10時55分ごろ、両毛線思川 - 栃木間の第2高屋踏切で、立ち往生していた大型トレーラと高崎発小山行普通列車に投入されていた当該車両が衝突。先頭のクハ115-113が脱線転覆し大破。後続のモハ115・114-34も脱線した。同年3月13日付で廃車となった。モハ114-34はモハ114-41を廃車とし部品供出を受けた上でモハ115-41とユニットを組成して復旧した。 クハ115-35 1994年に赤穂線普通列車で運用中に遮断機のない踏切で大型ダンプカーと衝突し大破。非冷房で廃車対象であったことから修復せず同年7月4日付で廃車。 クハ115-375 2002年10月1日、台風21号による強風のため飛来してきた木片が前面に衝突し損傷。所属の小山車両センターではE231系へ置換え進行中であったことから修復せず同年11月2日付で廃車。 クハ115-408・モハ114-359 2015年2月13日、山陽本線西阿知 - 新倉敷間の八人山踏切で侵入した大型トラックと当該車両が衝突。先頭と2両目の上述2両が大破し、2016年3月1日付で廃車となった。モハ114-359ユニット相手方のクモハ115-323は、2015年9月9日付で廃車となったA13編成のモハ114-316とユニットを組成して復旧している。
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事故廃車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:22 UTC 版)
老朽化・余剰・東日本大震災での被災による廃車を除いた事故廃車は以下の4両が該当する。 モハ205+204-236(ナハ4編成) 2008年10月26日、中原電車区構内でモハ204-236の無絶縁作業が原因でアークが激しく発生し、床下機器を大きく損傷したため2010年6月14日付で廃車。代替は仙石線に転属したナハ48編成のうち、余剰となったモハ205+204-21。 モハ205-386・モハ204-388(ハエ24編成) 2007年1月21日に川越線内で発生した乗用車との踏切事故の影響で、埼京線用編成のハエ24編成のうち外板が損傷したモハ205-386と乗用車の炎上で大きく外板が損傷したモハ204-388が使用不能となったため、モハ205-388+モハ204-386で新しいユニットを組成、京葉線から205系1本(ケヨ21編成)のモハ1ユニット(モハ205-277+モハ204-277)を転用して、新しく編成を組み直して同年5月末に営業に復帰した。 使用不能となった2両は上記のサハとともに2008年6月に廃車となった(上述)。
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事故廃車
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「ソ連運輸通信省D2系気動車」の記事における「事故廃車」の解説
2014年11月3日午後6時33分ごろ、77kmピケット9(77km900m距離標)発ニコライチュク・ホルムスク経由トマリ行6109列車(Д2系2両編成)がホルムスク管区クラスノヤルスコエ村のクラスノヤルスカヤ=サハリンスカヤ付近を走行中、発達した低気圧の影響で打ち寄せた波に路盤下が浸食されていたため線路が約150メートルにわたって崩落。列車は10メートル下の海岸に転落し、機関士1人が死亡、乗客23人が重軽傷を負った。この事故で被災したД2-004-1とД2-002-3はともに廃車となった。
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事故廃車
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「東武100形電車 (軌道)」の記事における「事故廃車」の解説
3001は就役開始間もない1973年10月に交通事故に遭遇し、致命的な損傷を受けて同年10月10日にそのまま廃車されたが、他の9両は特に大過ないまま、岡電の主力車両としてその後約20年以上に渡って重用された。 その間、一部の車両についてはKS-40J台車の軸受を平軸受からコロ軸受に交換・改造する工事を実施されている。
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事故廃車
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老朽化・余剰による廃車を除いた本系列の事故廃車は以下の3両が該当する。 クハ421-43 1974年5月4日15時23分頃、鹿児島本線古賀 - 筑前新宮(現・福工大前)間(当時ししぶ・新宮中央は未開業。)の無番額踏切で大型トラックがエンストして立ち往生。そこに本系列8両編成で運転されていた南福岡発門司港行特別快速電車が衝突。先頭車のクハ421-43が脱線大破した。復旧の際に車体を盛り土から転がして除去したこと、車体がくの字型に曲がっていたことから同年6月8日付で廃車。代替としてクハ411-335が製造された。 モハ402-1・クハ401-52 1979年3月29日15時9分頃、常磐線土浦 - 神立間の鹿島街道踏切で警報機を無視して進入したダンプカーと本系列12両編成で運転されていた平(現・いわき)発上野行普通電車482Mが衝突。先頭車のクハ401-52が約70 m走行した地点で脱線し左下に転落し大破。2両目に組成されていたモハ402-1が約130 m走行した地点で脱線した。この事故でモハ402-1は同年4月14日付で、クハ401-52は同月19日付で廃車された。 事故詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#常磐線列車衝突脱線転覆事故も参照のこと。
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事故廃車
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「横浜市交通局3000形電車」の記事における「事故廃車」の解説
第53編成(3000S形)は2019年(令和元年)6月6日、下飯田駅で脱線事故を起こした。それから2ヶ月後の同年8月29日には、第38編成(3000N形)が踊場駅で脱線事故を起こした。両編成は2020年(令和2年)3月末付で車籍を抹消された。 2020年(令和2年)11月4日、横浜市交通局は2編成について「製造元による車両診断の結果、安全な運行ができない」との判断を下し、2021年(令和3年)度中に廃車処分とする旨を公表した。 2021年(令和3年)5月31日に開かれた市会常任委員会では、第38編成(3000N形)の先頭車両を保存し、安全研修に活用する事が発表された。
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事故廃車
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「国鉄キハ58系気動車」の記事における「事故廃車」の解説
国鉄時代・JR化後を含め以下の9両が事故廃車となった。なお事故の詳細についてはリンク先を参照のこと。 キハ58 666 1969年10月14日に発生した急行「よしの川」脱線事故の当該車両。先頭に組成されていた同車はダンプカーと衝突し脱線大破。1970年3月12日付で廃車。 キハ58 1034 1973年5月15日に名古屋発天王寺行急行「紀州1号」で運用中、紀勢本線佐奈 - 栃原間の踏切でダンプカーと衝突。先頭に組成されていた同車は全面大破。1974年3月8日付で廃車。 キハ58 409・1015 キハ28 2005・2352 1985年7月11日に発生した能登線列車脱線事故の当該列車急行「能登路5号」に4両編成を組成し充当されていた。全車同年10月1日付で廃車。 キロ59 508 1988年3月30日に発生したサロンエクスプレスアルカディア火災事故の当該車両。排気管の過熱による出火から全焼となり廃車。 キハ58 1023 1991年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車衝突事故の当該車両。同車はJR西日本から信楽高原鐵道へ直通運転された本系列3両編成の臨時列車「世界陶芸祭しがらき号」の先頭車に組成。信楽線小野谷信号場 - 紫香楽宮跡間で信楽高原鐵道SKR200形気動車4両編成と正面衝突を起こし脱線大破。車体が折れ曲がり復旧困難となり1994年3月31日付で廃車。 キハ28 3013 2003年8月26日に高知発阿波池田行土讃線普通停車226Dで運用中、冷房電源用4VK型エンジンの回転数がいつもより高いことに運転士が気づいた。後免付近で運転士が4VK型エンジンを止めようとしたが止まらず、土佐山田で待機していた車両検修員によって停止できたものの車内への白煙流入が発生。阿波川口で床から出火したため乗客を避難させ消火活動を行った。 原因は4VK型エンジンの部品脱落により燃料が供給過多となり異常燃焼が発生。その結果消音器が異常過熱されたためであるが、本形式の置き換えが進んでいたことから、修理は行わず休車後の2004年3月31日付で廃車になった。
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事故廃車
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「JR東日本E721系電車」の記事における「事故廃車」の解説
詳細は「東日本大震災による鉄道への影響」および「常磐線#東日本大震災の影響」を参照 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、常磐線新地駅に停車していた0番台4両(P-1 + P-19)が津波によって流され、大破した。当該車両は同月12日付で廃車となり、同年4月14日より数日間にわたり現地で解体された。これら車両の代替は運用変更で対応したため、代替新造は行われなかった。 なお、被災車両の一部は福島県白河市の東日本旅客鉄道総合研修センター「事故の歴史展示館(車両保存館)」に保管されている。
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事故廃車
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「京急1000形電車 (2代)」の記事における「事故廃車」の解説
1137編成は2019年(令和元年)9月5日、神奈川新町駅近くの踏切にてトラックと衝突する事故(京浜急行本線神奈川新町第1踏切衝突事故)を起こし、損傷が激しいことから、翌2020年(令和2年)3月15日付で本系列初の廃車となった。この影響で、モーニング・ウィング号1号の運行開始が1か月延期された。
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