0番台 (L字二方開きタイプ)
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「JR貨物UR20A形コンテナ」の記事における「0番台 (L字二方開きタイプ)」の解説
1 - 8 日本石油輸送所有(株式会社カタログハウス借受)、全高2,600mm(規格外)、全幅2,475mm(規格外)、総重量6.8t。コキ50000形貨車積載禁止。 製造当初は通常塗装で、のちに借入者の広告としてメンテナンス時に塗装変更された。 製造は東急車輛製造和歌山製作所(2004年4月) 9 - 301 日本石油輸送所有、全高2,600mm(規格外)、全幅2,475mm(規格外)、総重量6.8t。コキ50000形貨車積載禁止。 製造は東急和歌山製作所(2004年4月)、301、製造はCIMC。
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0番台(1 - 14)
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「JR東海キハ85系気動車」の記事における「0番台(1 - 14)」の解説
「ひだ」用として製造された普通中間車。車内販売準備室・電話室・自動販売機が設置されたが、トイレはない。電源容量確保のためインバーターを2基搭載している。定員68名。
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0番台(コタキ44000 - コタキ44023)
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「国鉄タキ44000形貨車」の記事における「0番台(コタキ44000 - コタキ44023)」の解説
1967年に24両が製作された。平軸受・鋳鉄制輪子付のTR210形台車を装備する。
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0番台(1 - 18号機)
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「JR貨物EF210形電気機関車」の記事における「0番台(1 - 18号機)」の解説
基本番台 EF210-3 新塗装化されたEF210-6(2020年12月12日 / 熊山 - 万富) 1998年7月 - 同年11月に三菱電機・川崎重工業で製作された、本形式の量産機である。 主電動機を同一出力ながら小型の FMT4 形 (565kW) に改良、これは以降の新型電気機関車にも標準装備される。走り装置は歯車比を 1:4.44 から 1:5.13 に変更、主電動機を小型化したため、台車軸距を 2,500 mm に短縮したFD7E両端台車、FD8中間台車を装備する。側面の車両番号表示は向かって左の運転士席側扉付近に移された。新製時より「ECO-POWER 桃太郎」のロゴマーク(小形)が助士席側窓下に描かれる。パンタグラフは下枠交差式のPS22D形である。全車が岡山機関区に配置されている。 後述の100番台107号機より開始された、青地に白帯の新塗装による車両簡略塗装化は、0番台では2019年10月に出場した14号機から始まり、2021年3月13日現在で、8機に施されている。なお、0番台の「桃太郎」のラッピングを施工は、後述と同様に2020年10月以前に新塗装化した5機(2・4・6・9・14号機)に施工され、2020年11月に出場した11号機からは、新塗装とキャラクターラッピングが施工されて出場している。
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0番台(1次車)
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「JR九州813系電車」の記事における「0番台(1次車)」の解説
鹿児島本線で使用されていた421系の置き換えを目的として1994年に製造され、R001 - 009の2両編成9本(18両)が鹿児島本線に投入された。R001 - R006編成が近畿車輛製、R007 - R009編成が自社小倉工場製である。1994年3月1日のダイヤ改正より営業運転を開始した。 座席は車端部を除きすべて転換クロスシートである。車体側面、運転台窓下のスリット状の飾りは実際に凹型で、運転席屋根上の赤と黒の境界には溝状の凹みがあるが、凹みのない編成も存在する。 R008編成は、2002年(平成14年)2月22日に鹿児島本線海老津駅 - 教育大前駅間で起きた列車衝突事故により大破し、同年3月29日付でR101編成・R231編成と共に813系では初の廃車となった。詳しくは鹿児島線列車衝突事故を参照の事。 残りの編成はすべて2003年(平成15年)に中間車サハ813形400番台を組み込んで3両固定編成となり、同時に車外スピーカー・転落防止用幌の設置と客用扉窓を400番台同等仕様とする改造が施工された。 現在、全編成とも南福岡車両区に所属する。
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0番台(一般型)
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「国鉄EF65形電気機関車」の記事における「0番台(一般型)」の解説
貨物列車牽引用として、1965年(昭和40年)から1970年(昭和45年)に135両 (1 - 135) が製造された。 非貫通式の運転台にシールドビーム2灯を備える。国鉄時代の塗色は、車体が青15号(濃青色)前面下部がクリーム1号の国鉄形直流電気機関車の標準塗色である。
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0番台(1 - 47)
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「国鉄キハ56系気動車」の記事における「0番台(1 - 47)」の解説
1961年から1962年にかけて製造された初期形。キハ58形0番台に相当する。1986年にキハ53形500番台に改造された6両を除き、1987年の国鉄分割民営化までに全車廃車された。
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0番台(1 - 56)
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「国鉄キハ56系気動車」の記事における「0番台(1 - 56)」の解説
1961年から1962年にかけて製造。キハ28形0番台に相当する。4両がJR北海道に継承されたが、1989年までにすべて廃車となった。
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0番台(1 - 18)
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「国鉄キハ56系気動車」の記事における「0番台(1 - 18)」の解説
1961年から1962年にかけて製造。キロ28形0番台に相当する。当初は非冷房であったが、1964年から1968年にかけてAU13形分散式冷房装置6基と自車給電用の4DQ-11P冷房用発電装置を搭載して冷房化された。 1985年3月14日のダイヤ改正で北海道内の気動車急行列車のグリーン車が全廃されたことで用途がなくなり、国鉄時代の1986年までに廃車された。
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0番台 (1 - 9)
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「国鉄24系客車」の記事における「0番台 (1 - 9)」の解説
開放室2段式(プルマン式)のA寝台車。車体構造はオロネ14形に準じており、車端部には喫煙室、更衣室を備えている。最終運行が「日本海」だったオロネ24 2,4の2両は展示保存、オロネ24 5は列車ホテルとして運用されている。また静態保存・利用の3両共、2012年9月8日(オロネ24 2)・2013年3月4日(オロネ24 4)・2013年3月19日(オロネ24 5)付で廃車扱いされている。(日本国内の保存車で後述)
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0番台 (1 - 12)
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「国鉄24系客車」の記事における「0番台 (1 - 12)」の解説
東京 - 九州・山陰間の列車に使用するため、1976年に製造された個室寝台車である。1人用個室を14室備え、各部屋ごとにテーブル兼洗面台を備えている。11と12は、窓側の洗面台下に座った人の足が入るように、テーブル兼洗面台下部の構造が改良されていた。3両(8、11、12)が国鉄末期に700番台へ改造され、残りは3両が東日本旅客鉄道(JR東日本)に、6両が九州旅客鉄道(JR九州)に承継された。JR九州の6両は「はやぶさ」「富士」に使用されていたが、1996年9月9日付けでオロネ25 3が廃車となり、残る5両は2005年(平成17年)に14系へと編入改造され、オロネ15形3000番台となった(元番に3000をプラスしただけなので3003は欠番)。他の個室寝台の登場を受け、1986年(昭和61年)「シングルデラックス」の愛称が与えられた。最後まで残ったオロネ25 7が2021年3月1日付で廃車された。
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0番台 (1 - 67)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 13:38 UTC 版)
「国鉄24系客車」の記事における「0番台 (1 - 67)」の解説
新製のB寝台車で1973年製造。定員は新製時48名・2段化改造後32名。車体はオハネ14形に準じる。2015年4月時点で5両が青森に在籍したが、2015年11月までに全て廃車された。
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0番台 (1 - 27)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 13:38 UTC 版)
「国鉄24系客車」の記事における「0番台 (1 - 27)」の解説
1973年製造。定員は新製時45名・2段化改造後は30名。車体形状はスハネフ14形に準じた構造である。16 - 18は1977年(昭和52年)、床下に電源エンジンと発電機を搭載して14系に編入され、スハネフ14 101 - 103となった。2015年4月時点で10両が青森に在籍したが、2015年11月までに全て廃車された。
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0番台 (1 - 91)
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「国鉄24系客車」の記事における「0番台 (1 - 91)」の解説
オハネ24形の寝台を2段式に変更して新製されたB寝台車。オハネ24形と同じく上段寝台にはボタン操作式の自動昇降装置を備える。2015年4月時点で2両が札幌に在籍したが、2016年3月に全て廃車された。
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0番台 (1 - 47)
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「国鉄24系客車」の記事における「0番台 (1 - 47)」の解説
1974年から1976年にかけて製造された。北海道旅客鉄道(JR北海道)札幌運転所所属の2・4・8・15の4両は、4名用簡易コンパートメント(Bコンパート)改造が施工されている。洗面所側の連結面にも尾灯が設置された。
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0番台 (1 - 5)
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「国鉄24系客車」の記事における「0番台 (1 - 5)」の解説
24系基本形式と同時に製造された食堂車。基本的な構造はオシ14に準ずるが、細かいところでは車内の飾り棚や食堂入口の開き扉をアルミ製に変更する等、さらなる火事対策がなされていた。後に24系25形が東京発着ブルートレインに投入された際には、同グループでの食堂車新製を抑制し、24形グループから本形式を転用したため、白帯のままで使用され、編成中で容易に識別できた。1985年から順次帯色が銀色(ステンレス帯ではなくロビーカーと同様の銀色テープ)に変更された。その後、国鉄末期の1985年に全車700番台に改造され、消滅した。
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0番台(1 - 14)
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「JR東海キハ85系気動車」の記事における「0番台(1 - 14)」の解説
「ひだ」用として製造された非貫通タイプの普通先頭車。先頭部は大型曲面ガラスとルーフウインドウによって構成され、前面展望に配慮してある。定員60名。
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