常磐線列車衝突脱線転覆事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「常磐線列車衝突脱線転覆事故」の解説
1979年(昭和54年)3月29日15時5分ごろ 常磐線神立 - 土浦間の鹿島街道踏切(警報機、遮断機付)で平(現:いわき)発上野行き上り普通482M列車(403系電車12両編成)が警報を無視して進入したダンプカーと衝突。ダンプカーは大破。電車は1両目が前部を大破して約70 m暴走した後脱線、進行方向左側約2 m下に転覆。2両目以下も約200 m暴走し、2両目が脱線した。ダンプカーの運転手1人が死亡、乗客57人と電車運転士1人が負傷した。この事故で架線を切断したため、取手 - 友部間で翌日の10時30分ごろまで運休した。事故車の先頭車(クハ401-52)と2両目(モハ402-1)が廃車となった。事故後に鹿島街道踏切は閉鎖され、既に完成していた常磐線を越える立体交差に移行させると同時に現場近くには線路の下を潜る通路が設置された。
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