常磐線三河島駅列車多重衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「常磐線三河島駅列車多重衝突事故」の解説
1962年(昭和37年)5月3日 国鉄戦後五大事故のひとつ。 常磐線三河島駅構内で貨物線から下り本線に合流進入しようとした田端操車場発水戸行きの下り貨物列車(蒸気機関車牽引)が、停止信号を冒進して安全側線に進入し脱線。先頭の機関車が下り本線を支障した直後に三河島駅を1分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り電車と衝突し、脱線した下り電車は上り本線を支障した。約6分後、さらにその現場に上野行きの上り電車が高速で突入。上り電車は線路上に避難していた乗客多数を巻き込みながら下り電車に衝突、双方の先頭車両は原形を留めず粉砕され、一部の車両は築堤下へ転落して民家に突っ込み、死者160名を出す大事故になった。 下り貨物列車と下り電車が衝突した時点での人的被害は小規模だったが、下り電車の乗客が上り線路上へ出てしまったことと、約6分の暇が有りながら事故現場へ接近する上り列車を非常停止させるための防護処置が行われなかったことが更なる事故を招来し、人的被害を大きくしてしまった。この事故が契機となって自動列車停止装置 (ATS) や列車無線の設置を推進することになった。 詳細は「三河島事故」を参照
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