築堤とは? わかりやすく解説

ちく‐てい【築堤】

読み方:ちくてい

[名](スル)堤防を築くこと。また、その堤防。「下流域に—する」「—工事


盛土

(築堤 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/15 03:36 UTC 版)

盛土(もりど、英語: Embankment)とは土を盛り上げ平坦な地表を作ることである。




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築堤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/17 17:49 UTC 版)

アミガサ事件」の記事における「築堤」の解説

抗議翌年1915年大正4年)に石原神奈川県知事退任し9月から有吉忠一信任した有吉は、すぐさま水害問題真摯に取り組み河川改修申請許可内務大臣願い出るが、申請2年前に却下されたばかりで再申請認められないとされた。これを受けた有吉は、就任からわずか2か月後の11月上旬に、「水害予防のために郡道改修する」という名目で、旧橘樹郡道(南武沿線道路多摩川沿線道路の間を走る道路)をかさ上げし、代用堤防として供用することを決定した道路改修名目だったので内務大臣許可はいらず神奈川県による正式な許可翌年1916年大正5年1月25日下り4月から工事始まった住民喜んで工事参加した。 ところが、多摩川はさんで対岸側の東京府荏原郡住民内務省工事中止訴え4月18日内務省河川法に基づく許可必要な工事だとして中止命令下した有吉はこれを無視して工事続行したが、ついに懲戒処分下ってしまう。これでもめげなかった有吉は、逆に国を説得し東京側の堤防よりも高さを低くするという条件の下で6月7日から工事再開され9月30日竣工した竣工式が、12月18日御幸村玉川尋常小学校現在の川崎市立玉川小学校)で行われ盛大な祝賀会開かれた当時羽田橘樹郡郡長有吉感謝し有吉の名にちなんで「有吉堤」と名付けられた。一方有吉堤によって、中丸子渡し消滅してしまい、一部耕作地失われた

※この「築堤」の解説は、「アミガサ事件」の解説の一部です。
「築堤」を含む「アミガサ事件」の記事については、「アミガサ事件」の概要を参照ください。

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