築城背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 06:52 UTC 版)
鎌倉時代初期に岩村城を本拠地として恵那郡を統治した地頭遠山氏の初代遠山景朝の長男遠山景村が、 仁治2年(1242年)木曽川北部の所領確立のため、木曽川左岸の西山戸から右岸の那木津戸に進出。那木津戸が当時、那木(苗木)と呼ばれた所で、遠山氏による木曽川北部進出の始まりとなった。 元弘年間(1331~1334年)遠山一雲入道、遠山景長親子が、高森山(現在の中津川市苗木町)に砦を築く。 元弘~建武年間(1334~1336)の頃、遠山景利が恵那郡福岡村植苗木に広恵寺城を築き宗良親王を迎える。 文明5年(1473年)10月、小笠原家長と木曾家豊が伊那谷と木曽谷から東濃に侵攻する。 大永4年(1524年)3月、小笠原定基の家臣高柴景長が神明神社(苗木字日比野)の造営を行なう。 大永6年(1526年)に遠山一雲入道昌利が植苗木から高森山に館を移す。
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