木曾家豊とは? わかりやすく解説

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木曾家豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 06:38 UTC 版)

 
木曾家豊
時代 室町時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 兵部少輔
幕府 室町幕府
主君 足利義政
氏族 木曾氏
父母 木曾家賢
兄弟 家豊、家範、家益、家盛
義元、黒川義勝
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木曾 家豊(きそ いえとよ、生没年不詳)は、室町時代の武将。美濃国小木曾荘の領主で木曾氏の当主。木曾家賢の子。子に義元がいる。

経歴

文正元年(1466年興禅寺 (長野県木曽町)に梵鐘を寄進した。

鐘銘には、 壇心離有作々 金匠到無切功 鐘聲廣大 伽藍興隆 群生睡破 利濟無窮 美濃州 慧那郡 木曾庄 萬松山 興禅々寺 住持比丘大壇那 源之朝臣家豊 于時文正元年 丙戌霜月一日 とある。

応仁元年(1467年)からの応仁の乱では足利義政からの要請で東軍側に付く。

文明5年(1473年)、家豊は将軍足利義政の命をうけ[1]小笠原家長と共に東濃攻略のため、恵那郡大井城土岐郡釜戸村にあった荻島城(刈安城)を攻め落とした[2]

その後、木曾氏は天文24年(1555年甲斐武田氏に降るまでの期間、美濃国恵那郡北部の苗木遠山氏を統制下においた。

参考文献

『木曽福島町史 第一巻 歴史編』 第十八節 家豊 92~98P

脚注

  1. ^ 『足利義政御教書』
  2. ^ 『11月21日付小笠原左衛門佐宛細川政国書状』



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