木曾中太とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 木曾中太の意味・解説 

木曾中太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 19:21 UTC 版)

 
木曾中太
保元軍記白川殿合戦 木曾中太 従軍 東京都立図書館 歌川芳虎
時代 平安時代末期
別名 木曾中太、兼氏?[1]
氏族 木曽中原氏
父母 中原兼経?[2]
兄弟 中原兼遠中原兼保[2]
テンプレートを表示

木曾 中太(きそ ちゅうた、生没年不詳)は、平安時代末期の武家。正六位下右馬少允を務めた中原兼経の子とする資料がある。[要出典]中原氏の長男を号した。

兄弟に木曾中三(中原兼遠)中原兼保がいるとする説がある。[要出典]

出自

木曾中原氏は同地に根を張った豪族[3]。父の兼経は朝廷で正六位下右馬少允に叙任された後、信濃国佐久郡に移住し牧長を務めたとされる[4]

経歴

信濃国木曾地方に本拠を置く豪族。平安時代末期に保元の乱源義朝源為朝に従軍している。

伝承

中太の名前は兼氏であるとする伝承がある[1]。 また、奈良井宿の鎮神社の伝承によれば、近衛天皇の頃に「中原権頭兼氏」という徳の厚い人が奈良井におり、村人に尊敬されていた。その人の死後、村人はその徳をしのび、社を今の鳥居峠に建て、のちに遷座したのが鎮神社であるという[5]

脚注

  1. ^ a b 小林清三郎『兼遠と義仲』(銀河書房、1991年)
  2. ^ a b 武居用拙『岐蘇古今沿革志』(明治23年(1890年))
  3. ^ 太田 1936, p. 4255.
  4. ^ 武居用拙『吉蘇古今沿革志』(明治23年(1890年)P19)
  5. ^ 木曽教育会郷土館委員会編著『木曽-歴史と民俗を訪ねて-』(信州教育出版社、2010年)

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「木曾中太」の関連用語

1
10% |||||

木曾中太のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



木曾中太のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの木曾中太 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS