中原氏_(木曽)とは? わかりやすく解説

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中原氏 (木曽)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 02:33 UTC 版)

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中原氏
出自 金刺氏
諏訪神党
著名な人物 中原兼遠
樋口兼光(兼遠の次男)
今井兼平(兼遠の四男)
後裔 樋口氏(武家)
今井氏(武家)
海野氏(武家)?
真田氏(武家)?
凡例 / Category:氏

木曽中原氏(なかはらうじ)は、平安時代末期、信濃国木曽長野県木曽郡)の豪族だった氏(うじ)[注釈 1]。一族の中原兼遠は旭将軍源義仲(木曽義仲)の養父となった。軍記物語では、兼遠の娘とされる巴御前という登場人物が、義仲寵姫の女武者として巷間に名高い。出自については、金刺氏後裔説や、諏訪神党説などがある。

歴史

信濃国木曽長野県木曽郡)を地盤とした豪族[1]。その出自は定かではないが、太田亮は、金刺氏後裔という説と、諏訪神党の一つという説を挙げている[1]

木曽中原氏に関する比較的確実な史料としては、『吾妻鑑』巻1の治承4年(1180年9月7日条に、「中三権守兼遠」(中原氏の某の三男の(信濃国?)権守の官職にある兼遠)という人物が、源義仲の養父として、義仲が数え3歳の時に義仲を庇護して信濃国長野県)に遁走したという記録がある[1]

なお、太田によれば、1936年の時点では、長野県伊那郡富県村(長野県伊那市富県)に中原氏が現存していたという[1]

伝説

木曽中原氏は鎌倉時代軍記物語に多く現れ、『平家物語』を初め、『保元物語』『平治物語』『源平盛衰記』などで言及される[1]。兼遠の娘とされることもある巴御前[2]や、中原兼遠の兄とされることもある木曾中太が、登場人物として著名である。

脚注

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注釈

  1. ^ 鎌倉幕府の公式史料である『吾妻鑑』巻1の治承4年(1180年9月7日条に「中三権守兼遠」とあり[1]、「中三」のように略されていることから、名字ではなく古代氏族としての氏(うじ)と判断。

出典

  1. ^ a b c d e f 太田 1936, p. 4255.
  2. ^ 武居用拙『岐蘇古今沿革志』(明治23年(1890年)84p)

参考文献




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