巴御前とは? わかりやすく解説

ともえ‐ごぜん〔ともヱ‐〕【巴御前】

読み方:ともえごぜん

源義仲側室武勇をもって知られ、常に義仲に従ってしばしば戦功をたてた。義仲戦死後、尼となり越後の友移り住んだ伝えられる生没年未詳鞆絵御前


巴御前


巴御前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 14:28 UTC 版)

巴御前[注釈 1](ともえごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期の信濃国女性。女武者として伝えられている。鞆絵とも。『平家物語』によれば源義仲に仕える女武者。『源平闘諍録』によれば樋口兼光の娘。『源平盛衰記』によれば中原兼遠の娘、樋口兼光・今井兼平の姉妹で、源義仲の妾。[注釈 2]


注釈

  1. ^ 今日、人口に膾炙している「巴御前」という呼び名ではあるが、『平家物語』諸本では「巴」「鞆絵」「伴絵」などとしか記されておらず、「巴御前」という呼び名が見られるようになるのは後代になってからである。濱中修は文禄本『平家物語』で巴が粟津から落ちた後、東海道筋の橋本宿で遊女となっていたという後日談が語られていることに注目、「後世、「巴御前」の名で呼ばれるようになった理由の一端を暗示しているのかもしれない」と述べている。濱中によれば、静御前虎御前など白拍子遊君に御前の名で呼ばれる場合は多いという[3]
  2. ^ 『平家物語』では義仲は京で松殿基房の娘(藤原伊子とされる)を妻としており、『源平盛衰記』では京で基房の娘を妻とした他に、義仲が巴に向かって信濃の妻に再び会えないのが心残りだとも言っている。
  3. ^ 便女(びんじょ)というのは、文字通り「便利な女」の意味で、戦場では男と同等に戦い、本陣では武将の側で身の回りの世話(性行為もその中に含まれる)をする。便女=美女という解説がなされる場合もある。また、当時それらの役割は「寵童」と呼ばれる見た目の良い少年にさせる事も多かった。
  4. ^ 病気。
  5. ^ 『吾妻鏡』に照らし合わせると、義仲滅亡時に義秀はすでに9歳になっており、巴が義秀を生んだというのは年代が合わない。また義盛が巴を妻としたとするのも『源平盛衰記』のみで、その他の『平家物語』諸本にはない記述である。
  6. ^ 時代はやや下るものの、南北朝時代の絵巻『慕帰絵詞』には鎧姿の女武者が描かれていることも知られている[4]
  7. ^ これに関し細川涼一は「『平家物語』に描かれた女武者としての巴の大力は、義仲の「妻の力」であるよりは、柳田國男氏が姉妹に兄弟の身を守護する霊力があると述べた「妹の力」(義仲は従者である巴にとって主人であるとともに、身分は違うにも関わらず幼少より飲食等を共にして成長した兄妹ともいうべきものであった)に近いといえるであろう。そうであるがゆえに、義仲を「妹の力」によって守護しきれなかった巴は、「泣く泣くいとま申して」(百二十句本)義仲のもとを去るのである」としている[5]
  8. ^ 便女と妻を取り違えて解釈している可能性がある。少なくとも義仲の妻は、巴・山吹とは別に存在する。『平家物語』では義仲は京で松殿基房の娘(藤原伊子とされる)を妻としており、『源平盛衰記』では京で基房の娘を妻とした他に、義仲が巴に向かって信濃の妻に再び会えないのが心残りだとも言っている。

出典

  1. ^ a b 武居用拙『岐蘇古今沿革志』(1890年)
  2. ^ 今井善兵衛著『更生農村 : 北橘村の実情 』(日本評論社、1935年
  3. ^ 濱中修「巴の神話学―『源平盛衰記』を中心に―」『国士舘人文学』第1号、国士舘大学文学部人文学会、2011年3月、39-51頁。 
  4. ^ 慕帰絵詞(模本)”. 東京国立博物館研究情報アーカイブズ. 2021年8月6日閲覧。
  5. ^ 細川涼一『女の中世:小野小町・巴・その他』日本エディタースクール出版部、1989年8月。ISBN 4-88888-154-5 
  6. ^ 義仲寺(ぎちゅうじ)とは”. コトバンク. 2021年7月30日閲覧。
  7. ^ 巴御前をしのび法要 福光・巴塚公園”. 中日新聞 (2020年10月18日). 2021年7月30日閲覧。
  8. ^ 巴塚・葵塚”. 小矢部市観光協会. 2021年7月30日閲覧。
  9. ^ 現地案内板「伝 巴御前の墓」による。
  10. ^ 横須賀文化協会『三浦半島の口碑伝説百選』横須賀文化協会、1958年、20頁。 


「巴御前」の続きの解説一覧

巴御前

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魔女大戦 32人の異才の魔女は殺し合う」の記事における「巴御前」の解説

『豪』の魔女持っている欲は『悪滅欲』。額に「源」の紋章刻まれている。第1回戦第1試合第2回戦第1試合出場

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 06:21 UTC 版)

遮那王義経」の記事における「巴御前」の解説

義仲愛妾戦場出れば武将として際を振るう女傑であり、義仲のために命を張る女性義仲の子義高は実子ではないものの、実の子のように大切に思っている。

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怪力」の記事における「巴御前」の解説

源義仲従者女武将『平家物語』に強力と記され多く異本にもその怪力書かれている主従五騎になるまで巴は討たれなかったが、そこに武蔵国大里郡恩田師重という大力で名が知られていた武者現れた。巴は駆け入って、馬を寄せ組みついて師重を引き落とし自分の馬に押しつけ、その頸をねじ切って捨てた。『延慶本』では、一度2人武士の首をもぎ取っている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 10:02 UTC 版)

義経英雄伝修羅」の記事における「巴御前」の解説

騎馬薙刀兵兼平兼光の妹で、義仲愛妾

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義経英雄伝」の記事における「巴御前」の解説

木曾軍武将今井兼平の妹。義仲愛人使用武器は小薙刀

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