築城後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/08 05:33 UTC 版)
永正5年(1508年)、戸田氏中興の祖・戸田宗光は没し、子の憲光は亡父宗光のために二連木城の近くに全久院(豊橋市東郷町)を建立した。 天正18年(1590年)最後の二連木城主戸田康長(戸田松平家の祖で松平姓を受ける)は徳川家康の関八州へ移封と共に去り、二連木城は主を失った。しかし、松平姓を受け、徳川松平一族と同格となった仁連木戸田家は宗家を名乗り、田原戸田家は分家となる。 この年、この東三河地域(当時、4郡で総石15万2000石)へ入った池田照政(播磨国姫路城へ移封時に輝政と改名)は吉田城を拠点とし、二連木城を廃城とした。
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