街道の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 18:56 UTC 版)
東海道・中山道などの道と異なり、以前からあった農道などから比較的交通量が多い道を継ぎ足してできた道であるため、距離は約41.2 kmで同区間の中山道38.7 kmより長い。野洲宿(滋賀県野洲市行畑)で中山道から分岐し、琵琶湖沿いを八幡・安土・彦根を経由して、滋賀県彦根市鳥居本で再び中山道に合流した。 中山道が安土城下を経由しないため、織田信長が天正4年(1576年)に安土城を築いたときに岐阜城から安土城を経由して京都に向かう道として整備し、安土城築城後の天正5年(1577年)に城下に宛てた13ケ条の定書において「安土発展のため中山道ではなく、この街道を通ることが原則」とされ、安土落城後に同地を支配した豊臣秀次は八幡建設後町衆に対して同様の定めを公布し、この道の利用を奨励した。
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