街道のなりたち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 04:36 UTC 版)
1898年(明治31年)ごろ、庚申堂参りの道として知られる同街道は葛井寺道などさまざまな異名があったが、次第に庚申街道の名前が定着した(出典:明治36年刊「大阪府誌」)。 1977年(昭和52年)、大阪都市計画事業近鉄南大阪線連続立体交差事業により、新しく都市計画線阿倍野松崎線が設けられ、踏切が廃止となり、庚申街道は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅東口地下コンコースを通る形で南北を結ぶこととなり、地下部分をエスカレーター付きの地下道で大阪阿部野橋駅庚申口から同駅松崎口に出るように残るユニークな古街道となった。
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