甲斐路とは? わかりやすく解説

甲斐路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/08 09:00 UTC 版)

甲斐路(かいじ)は、律令制下における古代官道東海道の支路で、東海道から分岐し富士北麓を経て御坂峠を越えて甲府盆地に入り、甲斐国府に至る。別称は御坂路(みさか-)。


  1. ^ 『延喜式』同条は『山梨県史 史料編3 古代文献・文字史料』、『古代の交易と道』に収録。
  2. ^ a b c d e f g h 末木(2000)、p.275
  3. ^ a b c d 『山梨県の地名』、p.450
  4. ^ 末木(2000)、p.276
  5. ^ a b 磯貝正義「甲斐の御坂-甲斐の古駅路再論」(『甲斐史学』3号、1958年)
  6. ^ 『山梨県の地名』、p.137
  7. ^ 『鎌倉街道上道』埼玉県教育委員会
  8. ^ a b 秋山(2000・①)、p.317
  9. ^ 秋山(2000・①)、pp.317 - 318
  10. ^ 秋山(2000・①)、p.318
  11. ^ a b 秋山(2000・②)、p.322
  12. ^ 秋山(2000・②)、p.323
  13. ^ 秋山(2000・②)、p.325
  14. ^ a b c d e f g h 『山梨県の地名』、p.45
  15. ^ 海老沼(2008)、p.73、「東国陣道記」『山梨県史 史料編6 中世3下(県外記録)』
  16. ^ 『山梨県史 資料編6 中世3下 県外記録』、p.758
  17. ^ 海老沼真治「群馬県安中市 真下家文書の紹介と若干の考察-武田氏・山本氏関係文書-」(『山梨県立博物館 研究紀要』3号、2009年)


「甲斐路」の続きの解説一覧

甲斐路 (Kaiji)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 10:26 UTC 版)

マスカット (ブドウ)」の記事における「甲斐路 (Kaiji)」の解説

1955年山梨県の植原葡萄研究所にてフレームトーケーとネオマスカット交配して生まれた「赤いマスカット」。

※この「甲斐路 (Kaiji)」の解説は、「マスカット (ブドウ)」の解説の一部です。
「甲斐路 (Kaiji)」を含む「マスカット (ブドウ)」の記事については、「マスカット (ブドウ)」の概要を参照ください。

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