鎌倉新仏教と「鎌倉街道」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 08:39 UTC 版)
鎌倉時代の仏教界では鎌倉新仏教と呼ばれる新宗派が興隆し、甲斐国へも流入した。文永11年(1274年)には一遍が時宗を創始し、一遍の弟子である他阿真教は永仁2年(1294年)に信濃国佐久郡伴野に滞在し、翌年には甲斐へ入国し一年にわたり甲斐を遊化する。真教が遊化したルート上には北杜市須玉町若神子の長泉寺、甲府市太田町の一蓮寺、笛吹市御坂町成田の九品寺、笛吹市御坂町上黒駒の称願寺など時宗寺院が分布している。 真教が甲府から笛吹市御坂町へ向かうルートは鎌倉街道の道筋にあたり、真教はさらに御坂峠を越えて富士吉田市上吉田に至り、同地に西念寺を創建する。甲府では甲斐源氏の一族である板垣兼信の子孫とされる板垣入道から帰依を受け、板垣入道は真教を神坂峠を越えて河口(富士河口湖町河口)まで送り、真教は同地で板垣と別れると同年末に相模国へ向かった。 弘安5年(1282年)には、身延町の身延山久遠寺に滞在していた日蓮が常陸国で湯治を行うために同年9月8日に身延を出立し、鎌倉街道を通過して相模国・武蔵国へ至るが、10月8日に池上宗仲館において死去している。
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