鎌倉御家人から建武政権へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 02:47 UTC 版)
「斯波高経」の記事における「鎌倉御家人から建武政権へ」の解説
嘉元3年(1305年)に足利(斯波)宗氏の嫡男として誕生する。高経がいつ頃家督を継いでいたかは不明であるが、父・宗氏が諸系図で「早世」とあることや、元亨3年(1323年)12月の北条貞時13回忌供養に足利本家の貞氏、足利上総家(足利上総介家・三河家)の貞義らと共に出席していることから、既にこの頃には足利尾張家の当主となっていた可能性がある。 元弘3年(1333年)に後醍醐天皇の綸旨に応じた足利高氏(尊氏)に従って倒幕の兵を挙げ、六波羅探題攻めに参加する。鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇による建武の新政が行われると、越前守護職に補任された。建武元年(1334年)、紀伊飯盛山の佐々目氏の反乱の際には、戦果の芳しくない楠木正成に代わりこれを鎮定した。
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