鎌倉政権の公文所とは? わかりやすく解説

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鎌倉政権の公文所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 08:59 UTC 版)

公文所」の記事における「鎌倉政権の公文所」の解説

公文所中でももっとも著名なのが、源頼朝家政機関として鎌倉政権(のちの鎌倉幕府)に置いたのである治承4年1180年)の挙兵以来、都の下級貴族官人出身配下政務財政公文書作成業務(後に政所)や訴訟(後に問注所)を行っていたが、元暦元年1184年)に大江広元別当中原親能二階堂行政足立遠元藤原邦通ら4人を寄人任じて公文所設置した建久元年1190年)に頼朝従二位任じられ公卿叙せられると、慣例に従って政所設置して公文所組織政所移行統合した。ただし、一部諸機能問注所分離し公文所自体無くなったわけではなく公文所置かれていた諸機能徐々に政所各組織移されていった考えられ、また公文所そのもの政所内の公文書管理部署として存置した。また、執権北条氏権威が高まると、北条氏独自の家政機関として公文所設置されていた。

※この「鎌倉政権の公文所」の解説は、「公文所」の解説の一部です。
「鎌倉政権の公文所」を含む「公文所」の記事については、「公文所」の概要を参照ください。

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