べっ‐とう〔‐タウ〕【別当】
読み方:べっとう
1 検非違使(けびいし)庁・蔵人所(くろうどどころ)など、令外(りょうげ)の官の長官。
2 平安時代以降、親王家・摂関家などの政所(まんどころ)の長官。
4 僧官の一。東大寺・興福寺などの大寺に置かれた長官で、一山の寺務を統轄した。のちには、熊野・石清水・北野などの諸社にも置かれた。
べ‐とう〔‐タウ〕【▽別当】
べっとう 【別当】
別当
別当
姓 | 読み方 |
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別当 | べっとう |
別当
別当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/12 00:32 UTC 版)
内膳司の別当。定員1名。官位相当は三位。のちに設置され、大納言もしくは中納言が兼職した。
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別当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:19 UTC 版)
四等官の長官(カミ)に相当する。唐名大理卿。定員は1名で、現任の正あるいは権中納言または参議にして、左あるいは右衛門督、または左あるいは右兵衛督の兼任者のいずれかより補任される慣例である。参議四位で検非違使別当を兼帯した例もある。一方、大納言以上の議政官で兼帯したのは、藤原忠平が911年(延喜11年)に大納言に転任するが、検非違使別当をそのまま兼帯した例のみで他の例はなく、五位以下から兼帯した例もない。なお、検非違使別当は検非違使を統轄する最高責任者ではあるが、自身は検非違使ではない。また、検非違使別当を兼帯した権中納言従三位兼行左衛門督柳原量光が1486年(文明18年)に辞職以降、1655年(明暦元年)10月26日、参議従三位行左衛門督の油小路隆貞が兼帯するまで兼帯者不在。また、途絶え、1744年(延享元年)8月29日、正三位行権中納言兼左衛門督柳原光綱が兼帯以降、明治維新まで後任者が継続する。ちなみに、史料における検非違使別当兼帯の初出は、834年(承和元年)1月27日、参議左大弁従四位上兼行左近衛中将春宮大夫武蔵守の文室秋津である。(公卿補任)
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別当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 21:07 UTC 版)
蔵人所の名目上の責任者。大臣が兼任していた。定員は1名。詔勅を各省に伝達することが役目。
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別当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/26 16:23 UTC 版)
「白子神社 (米沢市)」の記事における「別当」の解説
江戸時代には別当寺を有しており、「享保十年城下絵図」(享保10年(1725年))には神社南側に、「明神別当大行院」が見える。文化8年(1811年)の絵図では同地は「宝珠寺」となっている。なお、明治の神仏分離令により、別当寺と神社は分離されているが、白子神社の別当寺のその後は不明。
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