古代の甲斐路と道筋・宿駅とは? わかりやすく解説

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古代の甲斐路と道筋・宿駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 08:39 UTC 版)

甲斐路」の記事における「古代の甲斐路と道筋・宿駅」の解説

延喜式兵部省諸国駅伝馬条によれば甲斐国と都をつなぐ官道を「甲斐路」と呼称している。 両側の一端東海道駿河国横走駅であり、横走駅で東海道から分岐した甲斐路籠坂峠かごさかとうげ静岡県小山町山梨県南都留郡山中湖村)を越えて甲斐国へ入る。その後忍野村富士吉田市境界である鳥居地峠を経て河口駅御坂峠越え市駅通り甲斐国府へと到達する推測されている。さらに甲斐国府へ至る。 横走駅は静岡県御殿場市付近もしくは横山遺跡所在する静岡県駿東郡小山町所在していたと考えられている。甲斐国府は前期後期移転されており、前期国府山梨県笛吹市春日居町後期国府笛吹市御坂町所在していたと考えられている。甲斐路甲斐国内に加吉(かき)駅、河口駅市駅(みずいちのえき)の三駅が設置されており、甲斐路小路であるため、各駅に五疋ずつの駅場が置かれていたという。 『延喜式』では駅名記載一般的に中央から順路沿って記載されているが、甲斐国場合国府基準にして国府寄り記載されたか、もしくは郡名記載順に記されたと考えられている。『甲斐国志』では市駅甲斐国府に最も近く所在地現在の笛吹市一宮町市之蔵付近としている。一方笛吹市一宮町市之蔵一帯には遺称とされる地名遺跡分布しないことも指摘され磯貝正義駅路や馬に関係する地名分布から現在の笛吹市御坂町上黒駒一帯推定している。また、市駅所在地について笛吹市石和町平井笛吹市八代町奈良原比定する説もあり、さらに『延喜式』の駅名記載順は逆で、山中湖所在した駅が市駅とする説もある。 『吾妻鏡』では籠坂峠は「加古坂」と表記されるため、加吉駅の「加吉」は「加古」の誤記であると考えられている。磯貝正義は加吉駅の所在地南都留郡山中湖村山中付近に推定しているが、これは史料根拠はなく平安時代八陵鏡などの出土によって推定されているにとどまる。 河口駅富士河口湖町河口所在していたと推定されているが、河口湖北岸大石比定する説もある。 2013年には富士河口湖町河口所在する遺跡の発掘調査において、甲斐路関わる考えられている道路状遺構確認された。遺跡河口湖東岸位置し旧鎌倉街道直下において道路遺構確認された。道幅最大3.7メートルで、東海道道路幅12メートル半分程度にあたる。路面版築工法により固められている。

※この「古代の甲斐路と道筋・宿駅」の解説は、「甲斐路」の解説の一部です。
「古代の甲斐路と道筋・宿駅」を含む「甲斐路」の記事については、「甲斐路」の概要を参照ください。

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