街道の歴史とは? わかりやすく解説

街道の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 14:38 UTC 版)

陸前浜街道」の記事における「街道の歴史」の解説

律令時代には畿内から現在の東北地方三陸海岸までの太平洋沿岸には、「海道」あるいは「東海道」と名づけられた道があり、浜街道はこれらの一部相当する奈良時代にはすでに石城国に駅が設置されており、平安時代の『千載和歌集』に勿来関に関する歌が残されている。鎌倉時代になると、東海道の名は鎌倉以西部分限定され鎌倉以北浜街道または、浜海道と呼ばれるようになり、江戸時代には全般的呼称として浜街道呼称普及した。さらに浜街道のうち常陸国以北多賀城以南部分岩城相馬街道呼ばれるようになった江戸時代には「藩領呼称」が一般化したこともあり、この街道の呼称は藩ごとにまちまちであった仙台藩では江戸浜街道中村藩では中村以北仙台通、中村以南水戸通。 磐城平藩では磐城平以北相馬路、磐城平以南水戸路水戸藩では水戸以北磐城街道岩城道中)または岩城相馬街道岩城相馬道中)、水戸以南水戸街道江戸道中、水戸道中)。 浜街道奥州街道比べて平坦降雪量少ないにもかかわらず参勤交代浜街道利用した藩は、街道上に居城がある磐城平藩中村藩などに限られていた。これは街道出発点である仙台藩および仙台藩以北諸大名が、御三家である水戸藩領内通過敬遠して奥州街道廻りルートを採ったことによる。また物流面においても、街道北端位置する阿武隈川河口亘理郡荒浜からは、元和年間1615年-1624年)に米沢藩蔵米恒常的に江戸輸送されるようになり、寛文11年1671年)には河村瑞賢による外海江戸廻りの東廻海運起点となるなど、海路での運輸が主であった公道として街道呼称統一されるのは明治時代入ってからで、明治5年1872年4月29日武蔵国千住から陸前国岩沼までの太平洋岸の街道今後陸前浜街道」と呼ぶという通達出されことによる結局陸前浜街道の名が正式名称として用いられたのは明治18年1885年2月国道番号制度導入されるまでのわずか13年間に過ぎなかったが、番号導入以後五万分の地形図はじめとする公的な地図においても番号ではなく陸前浜街道」の表記用いられ、また常磐線取手藤代間をはじめとして成田線新金線交差する踏切に「陸前浜街道踏切」「浜街道踏切」などの名称が付けられるなど、以後陸前浜街道という呼称使用され続けた1885年明治18年以後陸前浜街道は、明治国道よばれる第14号國道東京日本橋 - 水戸)と第15号國道東京日本橋 - 陸前国岩沼駅)に受け継がれ大正時代旧道路法成立すると、1920年大正9年)から大正国道よばれる国道6号へと継承された。

※この「街道の歴史」の解説は、「陸前浜街道」の解説の一部です。
「街道の歴史」を含む「陸前浜街道」の記事については、「陸前浜街道」の概要を参照ください。

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