京王帝都電鉄京王線列車障害事故
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「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「京王帝都電鉄京王線列車障害事故」の解説
1979年(昭和54年)10月3日 【踏切衝突事故】 京王帝都電鉄(現・京王電鉄)京王線武蔵野台駅東側の飛田給11号踏切にて、トラック(2名乗車)の荷台から転落した重機(ショベルカー)に高尾山口発新宿行き上り急行列車(5000系7両編成)が衝突、衝突の際に左カーブの付近だったため重機は前に押し出されて下り線の線路を支障したところに、新宿発京王八王子行き下り特急0015列車(5000系7両編成)が衝突、前2両が重機に乗り上げて脱線転覆、落下した重機を載せたトラックに衝突した。重機を退かそうとして重機に乗り込んだトラックの運転手が重機ごと電車に轢かれて死亡し、列車の乗員・乗客ら52名が負傷した。トラック運転手が荷物重量制限の確認注意を見落とした可能性に加え、荷台の重機をロープ等で固定していなかったため、傾斜のある踏切を渡った際の振動で重機が踏切線路上に落下したとみられる。事故当日は武蔵野台駅近くで駅舎改築に伴う道路舗装工事をしていたが、降雨のために中止となり、重機を撤収移送している途中での事故だった。武蔵野台駅の東側(同駅 - 飛田給駅の間)はカーブになっており、最初に衝突した急行列車が衝突の際に左カーブの位置だったため、重機は前に押し出されて下り線の線路を支障し、さらには見通しの悪いカーブから下りの特急列車が間に合わずに衝突され、重機に乗り上げて脱線転覆したとみられる。尚、事故から43年が経過した2022年5月現在もカーブおよび、事故現場の踏切は移設せずに残っている。当該トラックに乗車しており生存していた運転手1名は道路交通法違反(積載不備)、業務上過失致死罪、過失往来危険罪で府中警察署に現行犯逮捕された。この踏切には障害物検知装置が未設置であったことから、本件以後京王での踏切安全対策強化が進められた。事故車両は高幡不動駅構内の高幡不動検車区に運ばれ、損傷が酷かった京王八王子方の先頭車1両(クハ5871号車)が1979年11月16日付で廃車となり、翌1980年1月末に同検車区にて解体された。このクハ5871号車は1968年(昭和43年)に通勤電車として初の冷房を採用された試作分散冷房車であった。
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