事故車両
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「米軍燃料輸送列車事故」の記事における「事故車両」の解説
この事故で被災し廃車となった4両のタンク車は、いずれもタキ3000形で、そのうち1両は国鉄所有〈タキ3043〉だが、残る3両は私有貨車であった(1両(タキ23119)は日本陸運産業株式会社、2両〈タキ3084、タキ3085〉が米国陸軍輸送隊)。また、この事故の救援列車を牽引してきたのは、当時新鶴見機関区に所属していた蒸気機関車D51 451であった。新宿駅に蒸気機関車が姿を表したのは、山手貨物線から蒸気機関車が消えてから11年振りのことであった。なお、この事故で廃車されたEF10 40号機は、省型電気機関車では2両しかない事故廃車車両である(もう1両は1946年に国府津駅で追突事故を起こし2年後に廃車となったEF57 12)。 従来、この事故のような国鉄に責任がある事故で私有貨車が被災した場合、金銭による賠償が行われるのが通常であった。ところがこの事故の被災車両のうち、米国陸軍輸送隊が所有していた2両については、金銭による賠償ではなく、国鉄所有のタキ3000形2両(タキ3047、タキ3049)を米国陸軍輸送隊に無償譲渡して現物賠償を行うという異例の賠償措置が取られている。
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事故車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 01:06 UTC 版)
事故車両のうち、先頭車のモハ63019は証拠物件として東京地方検察庁から保全命令が出された。長年にわたり車籍を保持したまま三鷹電車区に鉄骨のみの車体が保管されていたが、保全命令が解除されたため1963年(昭和38年)12月に除籍(廃車)となり、解体処分された。2両目のモハ63057は廃車となったが、西武鉄道に譲渡され、401系として再生された。他の車両は復旧された。
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事故車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:10 UTC 版)
2005年4月27日に天王町駅 - 星川駅間の天王町1号踏切を通過中の7000系の側面に軽自動車が衝突したが、列車の乗客にけが人は出なかった。該当踏切を含むこの区間では高架化工事が進んでいる最中の出来事だった。2日前の同月25日にJR福知山線脱線事故が発生した直後だったこともあり、「頻発する鉄道事故」として報道された。 事故編成は次の通りである。 ←横浜方面(1号車)クハ7707(後に営業復帰) - モハ7105(廃車) - モハ7106(同) - クハ7502(同) + (5 - 8号車の4両) 衝突されたクハ7502は床下機器の損傷がひどく、継続使用できる状態ではなかった。事故車両4両は事故後は厚木操車場での留置が続いていたが、クハ7707を除く3両は2007年にかしわ台車両センターに廃車回送された。損傷しなかったクハ7707は2006年10月にクハ7701と振り替えられて1年半ぶりに営業に復帰した。この影響により休車扱いで厚木操車場に留置されていた5000系電車5053Fが緊急予備目的で2005年5月から運用に復帰した。また、事故編成の元5 - 8号車は組成する車両を替えて営業運転に復帰している。 また、2008年12月14日には、緑園都市駅から南万騎が原駅へ向けて走行中の7000系8両編成が過電流によりトンネル内で立ち往生し起動不能となった。この編成は1時間ほど前にも同様の故障を起こしており、この先の二俣川駅で運転を打ち切る予定だった。 事故編成は次の通りである。 ←横浜方面(1号車)クハ7711 - モハ7109 - モハ7110 - サハ7606 + クハ7705 - モハ7111 - モハ7112 - クハ7510 モハ7109は床下機器を焼損した。事故直後に全車が厚木操車場へ疎開回送されたが、復旧はされず2009年1月に全車がかしわ台車両センターへ廃車回送された。この影響により、新7000系の7713Fと7715Fがそれぞれ2両を抜いた8両編成で一時的に運行されていた。
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