米国陸軍輸送隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 04:55 UTC 版)
「国鉄タキ3000形貨車」の記事における「米国陸軍輸送隊」の解説
タキ3000形の所有者のなかに米国陸軍輸送隊の存在があった。これは1952年(昭和27年)4月に発効するサンフランシスコ講和条約に伴い、国鉄・私有タンク車の接収使用が出来なくなるため、自前でタンク車を用意する必要に迫られたためである。これらの車には国鉄の車番とは別に、米軍による軍番号を持つのが特徴である。軍番号はタンク体向かって左側に大きく書かれており容易に識別できた。 1952年(昭和27年)製作のグループは154両で、車番はタキ3073 - タキ3172, タキ3177 - タキ3230である。メーカーはタキ3073 - タキ3122が飯野、タキ3123 - タキ3172が三菱、タキ3177 - タキ3196が日車支店、タキ3197 - タキ3230が日車本店である。軍番号は700000 - 700153である。1957年(昭和32年)、タキ3206 - タキ3230は国鉄籍を抜かれて韓国に送られた。その後も軍番号は不変だった模様である。 続いて1956年(昭和31年)にはタキ3373 - タキ3397の25両が増備された。メーカーは日立である。このグループは翌年、新製後1年足らずで国鉄から除籍されて韓国に渡った。このグループの狭軌の台車は改造されずに日本に残留し、後に車体再生名義の2代目の製作に活かされることになる。 1959年(昭和34年)、日本向けに25両のタンク車を増備することになり、韓国に渡った初代のタキ3373 - タキ3397が履いていた台車を転用することになった。その際に「車体新造による更新と廃車復活」との扱いが採られた。車体メーカーは汽車会社東京支店と新潟鉄工所であるが、流用した台車のナンバーを元に付番したために、メーカーと番号の関係が混乱している。このグループは後に、国内の企業に移籍した車も認められる。 1967年(昭和42年)、新宿駅構内での石灰石列車との衝突事故により3両目 - 6両目に位置していたタキ3085、タキ23119、タキ3084、タキ3043の4両が脱線し、タンクに穴が開き漏れた燃料に引火して炎上、廃車となった。このうちタキ3084とタキ3085は軍番号700011と700012が付番されていた米国陸軍輸送隊所有車で、この2両に関しては国鉄所有のタキ3047およびタキ3049の2車をもって現物賠償されている。
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