米国進出とDCコミックス: 1983–1988とは? わかりやすく解説

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米国進出とDCコミックス: 1983–1988

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:39 UTC 版)

アラン・ムーア」の記事における「米国進出とDCコミックス: 1983–1988」の解説

1983年米国の2大コミック出版社のひとつDCコミックス編集者レン・ウィーン(英語版)は 2000 AD 誌のムーア作品注目し、『ザ・サガ・オブ・スワンプシング』の原作起用したムーア作画スティーヴン・R・ビセット英語版)、リック・ヴィーチ(英語版)、ジョン・トートレーベン(英語版)らとともに古臭く不人気なモンスター物だった同シリーズの再創造行った表現様式実験が行われたほか、環境問題のような社会的テーマや、性交月経といったタブーを破る題材取り入れられていた。『スワンプシング』誌は米国コミック界の自主検閲制度であるコミックス・コード認可受けず出版され最初のシリーズとなり、後にコミックス・コード消滅した遠因一つと見なされている。ムーアは同誌を第20号1984年1月)から第64号(1987年9月)まで4年近く書き続け月間発行部数1万7千部から10万以上に伸ばした。この成功受けてDC社は英国から新人原作者起用して低迷しているキャラクター思い切った改作行わせるようになった研究者グレッグ・カーペンターによると、当時米国コミックファン出身書き手マニアックストーリー再生産する停滞期であり、新し感覚の流入ブリティッシュ・インヴェイジョン(→英国侵攻)と呼ばれた)は影響大きかった。これは米国で「文学的コミック生み出す流れ一つとなったムーア1985年の春からDC社のほかの二線級シリーズ携わり始め、『ヴィジランテ英語版)』誌には家庭内暴力扱った前後編書いた(第1718号1985年)。『グリーンランタン』シリーズでは、この時期ムーア導入したアイディアいくつか後の世代によって『シネストロ・コァ・ウォー』(2007年)や「ブラッケスト・ナイト(英語版)」(2009年のような大型ストーリー発展させられることになる。やがて編集部からの評価高まりDC最大スーパーヒーロー一人であるスーパーマンを書く機会与えられた。「他に何を望もう英語版)」と題されエピソードはデイヴ・ギボンズの作画刊行された。完璧な善性と無敵能力を持つスーパーマンキャラクター掘り下げて心の奥では失われた故郷へ思い普通人として生きる願い抱いているという心理ドラマ描いていた。翌年1986年に大ベテラン作画家カート・スワン(英語版)と共作した「何がマン・オブ・トゥモロー起こったか?」は、『クライシス・オン・インフィニット・アース』DC世界全面的にリニューアルされるにあたって旧バージョンスーパーマンフィナーレとして企画され記念碑的作品だった。ムーアはこの作品個人的な熱意をもってあたった同作心に残る名作として何度も再刊されただけでなく、メタな観点からは編集主導リブートへの批判であり、上書きされようとしている時代遅れ要素への賛歌でもあった。 1986年刊行開始され1987年単行本化された全12号オリジナルシリーズ『ウォッチメン』ムーア名声不動のものとした。ムーア作画のデイヴ・ギボンズが生み出した同作は、優れたヒーローコミックであると同時に核戦争前兆包まれ冷戦時代SFミステリだった。危機絶頂において、ヒーローたち各自精神的な問題に衝き動かされヒロイズム傾倒しそれぞれ異なった世界観基づいて事件対処する本作一般にスーパーヒーローという概念対すポストモダン脱構築行った見られており、コミック史家レス・ダニエルズ(英語版)はこのジャンル基本的な前提としてきたものに疑問投げかけたと書いている。DCコミックス重役一人原作者でもあるポール・レヴィッツ(英語版)は2010年『ウォッチメン』スーパーヒーローヒロイズム本質見直流行に火をつけ、それから10年以上にわたってジャンル全体陰鬱な方向に向かわせた。『ウォッチメン』称賛集めその後コミック界が生み出した最も重要な文学作品一つと見なされ続けることになると書いている。テーマ的な革新性加えて構成表現様式洗練際立っていた。グレッグ・カーペンターは当時ムーアが持つ技法の粋が集められていると書いており、円環的なプロット構造や、文字と絵のコントラストを例に挙げた。また3×3均等分割基本とするコマ割り全編採用され、そのフォーマット多様な語り生み出している点も非常に特徴的だった。ティム・キャラハンは特異なコマ割りによる稠密さと緊迫感注目しストーリーテリング完成度後世類似作の及ぶところではないと述べている。 『ウォッチメン』コミックの域を超えて読書界やアカデミズムから大きな注目浴びたSFヒューゴー賞最初に受賞したコミック作品でもある。広くムーア最高傑作とみられており、あらゆるコミックの中で最高の名作呼ばれることもある。時代の近い『バットマン: ダークナイト・リターンズ』(フランク・ミラー)、『マウス』(アート・スピーゲルマン)、『ラブ・アンド・ロケッツ』(ヘルナンデス兄弟英語版))と並んで1980年代後半アメリカンコミック大人向け内容移行する流れ一端でもあった。ムーア一時ポップカルチャーアイコンなりかけ1987年にはドキュメンタリー番組 Monsters, Maniacs and Moore主役となった。やがて個人崇拝嫌ったムーアファンダム距離を置くようになり、コンベンションへの参加止めた1987年ムーアTwilight of the Superheroes(→スーパーヒーロー黄昏)というミニシリーズ企画書DC社に提出したスーパーヒーロー中心とするいくつかの氏族によって分割支配され未来DCユニバース舞台にした作品で、氏族間の政略結婚によって力の均衡崩れたことで終末戦争近づく登場人物一人助力求めて現代現れる。この作品ムーアDC離脱によって実現に至らなかったが、優れたアイディア盛り込まれ企画書関係者の間で広く読まれることになり、後には1996年ミニシリーズキングダム・カム』など類似した作品登場している。企画書一般ファンの間にも出回っているが、DC自社知的財産見なしており、2020年作品集 DC Through the 80s: The End of Eras全文収録した1987年に『バットマン・アニュアル』第11号作画ジョージ・フリーマン(英語版))でバットマン手掛けた翌年、ブライアン・ボランドの作画による『バットマン: キリングジョーク』が刊行された。バットマンジョーカー作品真骨頂意図して作られ同作において、ジョーカー正気と狂気紙一重であることを証明しようとして凶行繰り広げバットマン宿敵理解し合おう試みる。フランク・ミラーの『ダークナイト・リターンズ』や『イヤーワン』と並んでバットマンというキャラクターを再定義した重要作品であり、ティム・バートンクリストファー・ノーランによる映画版にも影響与えている。しかし当時としては際立って過激な内容で、特に人気女性キャラクターへの暴力批判集めた。ランス・パーキンは風刺や … 脱構築の強い衝動もなく、暴力ペシミズムだけを扱ったテーマ十分に練られていない作品と書いている。ムーア自身評価低く現実世界起こりうるようなことは何も書かれていないバットマンジョーカーはどんな生きた人間とも似ていないのだから。人間性について重要なことは何も伝えていないのだと述べている。

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