米国進出とDCコミックス: 1983–1988
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「アラン・ムーア」の記事における「米国進出とDCコミックス: 1983–1988」の解説
1983年、米国の2大コミック出版社のひとつDCコミックスの編集者レン・ウィーン(英語版)は 2000 AD 誌のムーア作品に注目し、『ザ・サガ・オブ・スワンプシング』の原作に起用した。ムーアは作画家スティーヴン・R・ビセット(英語版)、リック・ヴィーチ(英語版)、ジョン・トートレーベン(英語版)らとともに、古臭く不人気なモンスター物だった同シリーズの再創造を行った。表現様式の実験が行われたほか、環境問題のような社会的テーマや、性交・月経といったタブーを破る題材が取り入れられていた。『スワンプシング』誌は米国コミック界の自主検閲制度であるコミックス・コードの認可を受けずに出版された最初のシリーズとなり、後にコミックス・コードが消滅した遠因の一つと見なされている。ムーアは同誌を第20号(1984年1月)から第64号(1987年9月)まで4年近く書き続け、月間発行部数を1万7千部から10万部以上に伸ばした。この成功を受けて、DC社は英国から新人原作者を起用して、低迷しているキャラクターに思い切った改作を行わせるようになった。研究者グレッグ・カーペンターによると、当時の米国コミックはファン出身の書き手がマニアックなストーリーを再生産する停滞期であり、新しい感覚の流入(ブリティッシュ・インヴェイジョン(→英国の侵攻)と呼ばれた)は影響が大きかった。これは米国で「文学的」コミックを生み出す流れの一つとなった。 ムーアは1985年の春からDC社のほかの二線級シリーズに携わり始め、『ヴィジランテ(英語版)』誌には家庭内暴力を扱った前後編を書いた(第17–18号、1985年)。『グリーンランタン』シリーズでは、この時期にムーアが導入したアイディアのいくつかが後の世代によって『シネストロ・コァ・ウォー』(2007年)や「ブラッケスト・ナイト(英語版)」(2009年)のような大型ストーリーに発展させられることになる。やがて編集部からの評価が高まり、DC最大のスーパーヒーローの一人であるスーパーマンを書く機会を与えられた。「他に何を望もう(英語版)」と題されたエピソードはデイヴ・ギボンズの作画で刊行された。完璧な善性と無敵の能力を持つスーパーマンのキャラクターを掘り下げて、心の奥では失われた故郷への思いと普通人として生きる願いを抱いているという心理ドラマを描いていた。翌年の1986年に大ベテランの作画家カート・スワン(英語版)と共作した「何がマン・オブ・トゥモローに起こったか?」は、『クライシス・オン・インフィニット・アース』でDC世界が全面的にリニューアルされるにあたって、旧バージョンのスーパーマンのフィナーレとして企画された記念碑的作品だった。ムーアはこの作品に個人的な熱意をもってあたった。同作は心に残る名作として何度も再刊されただけでなく、メタな観点からは編集主導のリブートへの批判であり、上書きされようとしている時代遅れの要素への賛歌でもあった。 1986年に刊行開始され、1987年に単行本化された全12号のオリジナルシリーズ『ウォッチメン』はムーアの名声を不動のものとした。ムーアと作画のデイヴ・ギボンズが生み出した同作は、優れたヒーローコミックであると同時に、核戦争の前兆に包まれた冷戦時代のSFミステリだった。核危機の絶頂において、ヒーローたちは各自の精神的な問題に衝き動かされてヒロイズムに傾倒し、それぞれ異なった世界観に基づいて事件に対処する。本作は一般にスーパーヒーローという概念に対するポストモダンな脱構築を行ったと見られており、コミック史家レス・ダニエルズ(英語版)はこのジャンルが基本的な前提としてきたものに疑問を投げかけたと書いている。DCコミックス重役の一人で原作者でもあるポール・レヴィッツ(英語版)は2010年に『ウォッチメン』はスーパーヒーローやヒロイズムの本質を見直す流行に火をつけ、それから10年以上にわたってジャンル全体を陰鬱な方向に向かわせた。『ウォッチメン』は称賛を集め … その後、コミック界が生み出した最も重要な文学作品の一つと見なされ続けることになると書いている。テーマ的な革新性に加えて構成や表現様式の洗練も際立っていた。グレッグ・カーペンターは当時のムーアが持つ技法の粋が集められていると書いており、円環的なプロット構造や、文字と絵のコントラストを例に挙げた。また3×3の均等分割を基本とするコマ割りが全編で採用され、そのフォーマットが多様な語りを生み出している点も非常に特徴的だった。ティム・キャラハンは特異なコマ割りによる稠密さと緊迫感に注目し、ストーリーテリングの完成度は後世の類似作の及ぶところではないと述べている。 『ウォッチメン』はコミックの域を超えて読書界やアカデミズムから大きな注目を浴びた。SFのヒューゴー賞を最初に受賞したコミック作品でもある。広くムーアの最高傑作とみられており、あらゆるコミックの中で最高の名作と呼ばれることもある。時代の近い『バットマン: ダークナイト・リターンズ』(フランク・ミラー)、『マウス』(アート・スピーゲルマン)、『ラブ・アンド・ロケッツ』(ヘルナンデス兄弟(英語版))と並んで、1980年代後半のアメリカンコミックが大人向けの内容に移行する流れの一端でもあった。ムーアは一時ポップカルチャーのアイコンになりかけ、1987年にはドキュメンタリー番組 Monsters, Maniacs and Moore の主役となった。やがて個人崇拝を嫌ったムーアはファンダムと距離を置くようになり、コンベンションへの参加も止めた。 1987年、ムーアは Twilight of the Superheroes(→スーパーヒーローの黄昏)というミニシリーズの企画書をDC社に提出した。スーパーヒーローを中心とするいくつかの氏族によって分割支配された未来のDCユニバースを舞台にした作品で、氏族間の政略結婚によって力の均衡が崩れたことで終末戦争が近づく。登場人物の一人は助力を求めて現代に現れる。この作品はムーアのDC離脱によって実現に至らなかったが、優れたアイディアが盛り込まれた企画書は関係者の間で広く読まれることになり、後には1996年のミニシリーズ『キングダム・カム』など類似した作品も登場している。企画書は一般ファンの間にも出回っているが、DCは自社の知的財産と見なしており、2020年の作品集 DC Through the 80s: The End of Eras に全文を収録した。 1987年に『バットマン・アニュアル』第11号(作画ジョージ・フリーマン(英語版))でバットマンを手掛けた翌年、ブライアン・ボランドの作画による『バットマン: キリングジョーク』が刊行された。バットマン/ジョーカー作品の真骨頂を意図して作られた同作において、ジョーカーは正気と狂気が紙一重であることを証明しようとして凶行を繰り広げ、バットマンは宿敵と理解し合おうと試みる。フランク・ミラーの『ダークナイト・リターンズ』や『イヤーワン』と並んでバットマンというキャラクターを再定義した重要作品であり、ティム・バートンやクリストファー・ノーランによる映画版にも影響を与えている。しかし当時としては際立って過激な内容で、特に人気女性キャラクターへの暴力は批判を集めた。ランス・パーキンは風刺や … 脱構築の強い衝動もなく、暴力とペシミズムだけを扱ったテーマが十分に練られていない作品だと書いている。ムーア自身の評価も低く、現実世界で起こりうるようなことは何も書かれていない。バットマンとジョーカーはどんな生きた人間とも似ていないのだから。人間性について重要なことは何も伝えていないのだと述べている。
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