個人崇拝とは? わかりやすく解説

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個人崇拝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 17:01 UTC 版)

スターリンの個人崇拝

個人崇拝(こじんすうはい、: Cult of personality)とは、個人を崇拝の対象に据える政治的行為、またはその様式である。

定義

ソビエト連邦指導者ニキータ・フルシチョフ1956年に「個人崇拝とその諸結果について」(ロシア語: О культе личности и его последствиях)と題された秘密演説で前指導者ヨシフ・スターリンの政治体制をこう定義したことで広く知られるようになった[1]

共産主義の個人崇拝

一般的に革命を経験した体制下で起こりやすく、とりわけ共産主義が権力を握った国々では、スターリンを手本にしたことから、顕著に見られる[2]。共産主義の創始者であるカール・マルクスは生前に自身への「個人崇拝」を戒めており、政治的な意味合いで初めてこの言葉を使用した[3]。ソ連外の共産主義国・共産主義政党には特にコミンテルンを通じて拡散され、中国毛沢東フランス共産党トレーズ北朝鮮金日成金正日金正恩北朝鮮の個人崇拝)、ルーマニアニコラエ・チャウシェスクなどのスターリン自身が建国・創設を支援した国や団体、トルクメニスタンサパルムラト・ニヤゾフなど旧ソ連構成国、イラクサッダーム・フセインシリアハーフィズ・アル=アサドリビアムアンマル・アル=カッザーフィーなどのアラブ社会主義を掲げた国々の指導者などが代表的事例とされる[4]第三世界におけるカリスマ的指導者や民族主義運動指導者たちへの英雄崇拝、ファシズム運動における指導者原理にも指導者崇拝の様式が見られる[2]

1956年のソ連のフルシチョフによるスターリン批判は、党と国家との癒着、党内民主主義や官僚制の問題などの議論を回避し、もっぱらスターリン個人の粗暴な人格に責任を向けたものであり、大粛清の原因も個人崇拝の蔓延にのみ原因を求めた[4]。このように個人崇拝批判は、制度や体制の問題を個人の責任にすり替えがちであるとされる[2]。スターリンの死後もブレジネフ体制やウラジーミル・プーチン政権などソ連・ロシア史の長期政権でスターリンを模倣したと思われる個人崇拝が見られる[4]。中国では文化大革命という悲惨な結末を引き起こした反省から鄧小平は個人崇拝を厳しく禁じ、中国では個人崇拝は禁止されたが、習近平体制になってから個人崇拝が復活傾向にある。

スターリン主義を否定した新左翼も、ひとまわりして個人崇拝に至ることがある。

参考文献

出典

  1. ^ Service, Robert. Stalin: A Biography. p. 362. ISBN 9780674022584
  2. ^ a b c 世界大百科事典』(平凡社)「個人崇拝」の項目
  3. ^ Heller, Klaus (2004). Personality Cults in Stalinism. Isd. pp. 23–33. ISBN 978-3-89971-191-2.
  4. ^ a b c 日本大百科全書』(小学館)「個人崇拝」の項目



個人崇拝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:24 UTC 版)

「文化大革命」記事における「個人崇拝」の解説

1968年10月パキスタン外相からマンゴー贈られ毛沢東は、北京の主要工場に1個ずつ分け与えた。その一つ北京紡績工場では、工場関係者マンゴー祭壇設けて毎日一礼したマンゴー腐りかけると果肉をゆで、その汁を従業員全員恭しく飲ませその後マンゴーレプリカ祭壇飾った毛沢東忠誠捧げる意味から、「毛沢東語録歌」にあわせて踊る「忠の字踊り」が強制され、踊らなかったら列車乗せてもらえないことがあった。また豚の額の毛を刈りこんで「忠」の字を浮き上がらせる「忠の字豚」が飼育された。 紅衛兵は、毛沢東学校休校命じると、自らの学校破壊し教師たち暴行加えたり教科書焼き捨てた。その後学校再開されると、教える人や教材もない有様で、中華人民共和国発展大きな障害となった

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個人崇拝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:00 UTC 版)

習近平」の記事における「個人崇拝」の解説

習近平の個人崇拝(中国語版)」も参照 中国共産党歴代最高指導者を「核心」と呼んできたが、胡錦濤総書記時代集団指導体制唱え、この呼び方をやめており、習指導体制当初は、これに倣っていた。しかし、2016年1月8日会議で、習総書記との関係が近いとされる天津市代理書記である黄興国が「習総書記という核心を守らなければならない」と会議発言した。これに続き同月11日から15日にかけて安徽省湖北省四川省各省指導者それぞれ同様の表現演説発表した。さらに同月27日には、習総書記官房長官役である栗戦書党中央公庁主任が「核心意識強めるべきだ」との表現で、習総書記への忠誠訴えたいずれも総書記を党の「核心」とすることを強く示唆し権力集中が進む中で党中央委員会総書記位置付け微妙な変化生じている可能性があると朝日新聞報じている。2016年3月16日閉幕した同年度の全人代では、習を毛沢東鄧小平らと同じ党中央の「核心」と呼ぶ言い方現れなかったが、「核心意識」や「看斉意識」(みなが同じ方向を向く意識)という言葉定着したと、朝日新聞報じている。また、同年度の全人代において習総書記目指す国づくりに政府議会などが忠実に奉仕するという姿勢目立ったとも報じられた。待ち受ける諸課題解決に向け、団結確認した形だが、習への忠誠競うような空気危ぶむ声もある。ただし、3月24日付け日本経済新聞による全人代詳報によると、「核心」および「核心意識」という言葉は最高指導部内でもなお十分な合意得られていないとも報じられている。すなわち、共産党序列第3位張徳江閉幕式の際の口頭による会議総括で、習を念頭に核心意識」と発言し鄧小平時代の「核心」の言葉想起させたが、序列4位で全国政治協商会議主席兪正声は、政協閉幕式あいさつで「核心」の言葉触れなかった。「核心」および「核心意識」という言葉に関して不協和音もあるとも報じられている。しかし指導部内で習総書記のみの力が際立つという現状は、一方で副作用生んでいる。2016年3月には文化大革命時代毛沢東賛美するために歌われた「東方紅」の歌詞変え、習総書記たたえる動画ネット流出した最高指導者偶像化するこうした現象は、中国には久しくなかった現象である。中国共産党は、毛沢東への熱狂的な追従文化大革命悲劇生んだという反省から、1982年指導者の個人崇拝を禁じているからである。同じ頃、党最高指導部重きをなす王岐山率い党中央規律検査委員会機関紙が、「千人追従は、1人忠告にしかず」とのコラム掲げ指導者へ異論封殺される風潮戒めたまた、核心」と並んで「最高領袖」「最高統帥」とも官製メディアで頻繁に呼ばれていることは「偉大領袖」「偉大統帥」と呼ばれた毛沢東時代彷彿させるとする見方もある。また、巨大な陵墓を建て、書籍発刊記念切手発行されるなど父・習仲勲への個人崇拝も強められているとされる

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サッダーム・フセイン」の記事における「個人崇拝」の解説

サッダームが大統領就任すると、自身への崇拝強化されイラク国内には彼の巨大な彫刻銅像肖像画ポスター飾られるようになった。それらを制作する専門職人がいたほどであり、国民人口よりサッダームの銅像ポスターの方が多いという笑い話作られたほどである。サッダームに対する個人崇拝は、中東でも異例であり、突出していた。国営テレビは、毎日のようにサッダームを称える歌・詩を放送しており、歌の数は200種類あるとされていた。イラクのテレビ・ラジオの監督部門の長を務めた人物の証言によると、サッダームもこれらの放送見ており、一時テレビで歌を流す回数減らしてエジプトドラマ放送していた(実際素人臭い作品ばかりで、出来の悪い歌が多かったためである)。これに気づいたサッダームは、担当者呼びつけ放送元に戻すよう指示したとされるまた、アラブ古代メソポタミア過去の英雄たち引き合い出され、即ち、サッダームはネブカドネザル2世ハンムラビマンスールハールーン・アッ=ラシードにならぶ偉大な指導者であるとされ、あげくの果て偽造ともされる家系図持ち出して預言者ムハンマドの子孫と喧伝された。また、アラブ世界英雄サラーフッディーンを同じティクリート出身のために尊敬意識していたという説もあるが、皮肉にもサラーフッディーンはサッダームが苛烈弾圧行ったクルド人出身である。 サッダームの主導空中庭園などの再建計画開始され古代遺跡バビロン入り口にはサッダームとネブカドネザル肖像画配置され碑文には「ネブカドネザル息子であるサダム・フセインイラク称えるために建設した」と刻まれ、サッダームは遺跡群内にジグラット模した宮殿もつくろうとした。同様の計画ニネヴェ遺跡ニムルド遺跡アッシュール遺跡ハトラ遺跡でも行われた

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