ソ連共産党第20回大会
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ソ連共産党第20回大会(ソれんきょうさんとうだいにじっかいたいかい ロシア語: XX съезд Коммунисти́ческой па́ртии Сове́тского Сою́за)とは、フルシチョフ政権時代の1956年2月14日から2月25日にかけて開催されたソビエト連邦共産党の党大会である。
概要
この党大会で特筆すべきは大会最終日にフルシチョフによって行われたスターリン批判の演説である。この席上での彼の秘密演説は後にアメリカ国務省によって全世界に公開され、その後のポズナン暴動やハンガリー動乱、中ソ対立などを引き起こすことになった。
関連項目
外部リンク
- 下斗米伸夫, 「スターリン批判と金日成体制 : ソ連大使館資料を中心に」『法学志林』 法学志林協会 103巻 1号 2005年 p.1-76, ISSN 03872874
ソ連共産党第20回大会
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「スターリン批判」の記事における「ソ連共産党第20回大会」の解説
1956年2月14日から開催されたソ連共産党第20回大会は、スターリンが死去して最初の大会であり、個人独裁体制から集団指導体制への転換をはじめ、国内政策や外交政策などの新たな路線の決定など広い意味での「非スターリン化」が予定されていた大会であった。大会初日に行われた党第一書記のフルシチョフによる中央委員会報告(一般報告)では、外交政策としては平和共存路線を提起し、帝国主義諸国とのあいだの戦争を防止する可能性があること、各国が社会主義に移行するにあたり暴力革命だけでなく議会制民主主義による平和革命など多様な可能性があることなどを述べ注目された。国内政策としてはベリヤを大粛清の担い手として非難して法治主義を強化することを述べるとともに、個人崇拝がマルクス・レーニン主義の精神とは無縁であって党内の集団指導と人民大衆の役割が重要であることなどを指摘した。 大会討論では、レオニード・ブレジネフ(カザフスタン党第一書記)、А.Б.アリストフ(党中央委員)、スースロフ、マレンコフが中央委員会報告に沿って法治主義や個人崇拝との闘争について発言を行った。特に強い調子で発言したのがミコヤンであり、過去20年間における個人崇拝と集団指導の欠如を指摘し、スターリンを名指しして著書の内容を批判してスターリン理論の修正を訴えた。また、歴史学者のА.М.パンクラートヴァ(『歴史の諸問題』編集長、党中央委員)は、党史研究において個人崇拝と闘争する必要があることを述べ、『レーニン全集』第4版の編纂上の問題やスターリン時代の歴史評価を修正するべきことについて発言した。他方で、モロトフ(前外相、党幹部会員)は個人崇拝の問題に一切触れず、ガガノーヴィチ(第一副首相、党政治局員)はこの問題は解決済みであるとほのめかすなど、非スターリン化に消極的な党幹部もいた。
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