スターリン時代
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1917年10月、国内の全商業銀行が閉店した。12月の法令で露亜銀行のような商業銀行がロシア国立銀行に編入された。ズベル金庫も国有化された。法人口座が接収され、個人口座は維持された。ヴャチェスラフ・メンジンスキーが貯蓄事務局をつくらせた。その中でズベル金庫を再生しようとして、ロシア革命下の物々交換経済に挫折した。ネップのとき政府紙幣が氾濫したことを受けて、グリゴリー・ソコリニコフとレオニド・ユロフスキー(Leonid Yurovsky)が兌換銀行券(Chervonets)も導入した。1924年までに兌換券が政府紙幣を駆逐した。1923年に国立銀行はゴスバンクとなって(Gosbank)、1929年に貯蓄事務局(旧ズベル金庫)が大蔵省へ移管された。(重工業に投資できるよう)貯蓄が奨励されたが、誰も預ける金をもたなかった。1930-32年にゴスバンクは専門化、縦割り行政化した。漸く1935-40年の五カ年計画で戦前の貯蓄水準を回復した。 ズベルバンクと新ロシアの関係は農奴解放令からの因縁である。枢軸国が19世紀末から新ロシアで農業を展開していたところ、五ヵ年計画期のホロドモールがウクライナ農業を壊滅させた。これが独ソ戦の伏線となった。フランスの金融力は軍事作戦で敗れてなお、ソ連を使役してナチスを駆逐した。ソ連は独ソ戦に勝利すると、ウクライナ等で綿花を大量生産して世界一の増加率で輸出した。貯蓄事務局は自然改造計画へ投資した。価格の暴落する1952年までに、預金額が戦前の水準を回復した。輸出により取得した外貨はスターリンが守っていた。しかし彼の死後はユーロダラーとして運用された。1963年、貯蓄事務局はゴスバンクに編入された。ユニバーサル・バンクとしてユーロ市場にデビューしたのである。ゴスバンク以外の銀行がロシアからなくなったので、ロシア人はゴスバンクに預けるしかなかった。1972年、ソ連のユーロダラーは凶作で穀物メジャーに流れた。
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スターリン時代
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1946年(昭和21年)1月29日:連合国最高司令官司令により、「千島列島、歯舞群島、色丹島」などの地域に対する日本の行政権が一時的に停止された(SCAPIN-677)。これらはソビエト連邦の行政管轄区域となった。 2月2日:ソビエト連邦最高会議が、南サハリン(南樺太)およびクリル諸島(千島列島)を1945年9月20日にさかのぼり国有化宣言した(南サハリン州の設置に関するソ連邦最高会議幹部会令、ソ連邦最高会議一九四六年二月二日付命令)。同地域はソ連の南サハリン州として新設され、ロシア共和国・ハバロフスク地方へと編入された。当時、樺太島の南部(北緯50度以南)に住んでいた日本国民は1945年8月時点で約40万人だったが、彼らはソ連の占領下で生活することになり、技術者を中心とする彼らの多くがそのまま職場にとどまらざるを得なかった。 南樺太には日本からの米の供給が途絶えたことから、ソ連は旧満州国から大豆、北朝鮮から米を移入し、日本人への配給にあてた。一方、林業などのために北朝鮮からの朝鮮人労働者も南樺太へ送られるようになった。 2月11日:ヤルタ会談における極東密約(ヤルタ協定)が公開された。 北方領土には日本国民は約1万7千人住んでいたが、占領当初は、日本国民の本国帰還は認められなかった。 12月:連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)とソ連との間で捕虜となっていた日本国民の引き上げ(「在ソ日本人捕虜の引揚に関する米ソ協定」)が合意され、1949年7月までにほぼ全員の日本国民が帰国した。 1951年9月8日:日本は連合国諸国とサンフランシスコ平和条約を締結したことにより、多くの国々との戦争状態が正式に終結して国家主権を認められた。 同条約において、日本は朝鮮半島や台湾、南樺太、そして千島列島などの領有を放棄した。当時の平和条約国会で、日本政府はヤルタ協定のいう「千島列島」の範囲に、国後島・択捉島が含まれると説明している 。しかし、この説明は5年後の1956年2月に取り消され、以後の同政府は「国後島と択捉島は千島列島に含まれず、日本が放棄した対象ではない」と主張している。 ただし、ソビエト連邦はこのサンフランシスコ平和条約に調印しなかった(背景にはアメリカ合衆国との冷戦があった)。以後、同連邦を継承したロシア連邦もこの条約に調印していない。
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