スターリン夫人自殺事件以後の徴発強化
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「ホロドモール」の記事における「スターリン夫人自殺事件以後の徴発強化」の解説
1932年11月9日にスターリン夫人アリルーエワが自殺すると、スターリンはいっそう悪意を強め、サボタージュが疑われた集団農場の職員1623人が逮捕され、年末までにウクライナ人3万400人が流刑地に送られた。スターリンは集団化による飢饉は「作り話」で「悪意ある噂」であるとみなし、飢え死にしかけている農民は、ソ連の信用失墜をもくろむ資本主義国の手先であるとした。 11月18日、ウクライナ農民に、余剰穀物の「返還」が求められた。共産党の徴発部隊と警察が熱心に捜索した。。 11月20日、割当量を納められなかった農民は肉(家畜)で支払うことを義務づけられた。 11月27日、スターリンはこの一年の穀物調達困難は、反ソ分子がコルホーズやソフホーズに侵入し、村の共産主義者が非マルクス主義的な対応をしたためだと非難し、徴発に抵抗しつづける農民に鉄槌を打つことを命じた。同日、ソ連国内で未収となっている穀物の3分の1が、ウクライナに割り当てられた。 11月28日、ソ連はブラックリストを導入し、割当量を納められなかった集団農場は15倍の分量の即時納入を義務づけられた。 共産党新聞プラウダは1932年12月4日と8日にクラークとの断固とした戦いを要求した。 12月5日、フセヴォロド・バリツキー(英語版)内務人民委員部ウクライナ支局長の進言で、ウクライナ飢饉は、民族主義者による陰謀であるとされ、徴発で責任を果たさなかったものは国家に対する裏切り者とされた。翌1933年1月までにバリツキーは、違法組織を1000以上発見したと報告した。農民をかばった者は敵とみなされ、有罪判決を受けた。 12月6日、ウクライナソビエト政府は、ドニエプロペトロフスク州、ハリコフ州、オデッサ州で穀物徴発にサボタージュした村に対して、物資供給の停止、国家との取引停止、コルホーズの取引の完全禁止、外国人と敵対分子の調査と追放、そして反革命分子の粛清などの制裁を課した。 12月14日には、ウクライナ共産党に潜む民族主義者を強制収容所に送ることが許可された。 12月15日、ドニエプロペトロフスク州、ドニエツ州、チェルニーギフ州、ハリコフ州、オデッサ州の88地区の住民はソ連北部に強制移住に処された。 12月下旬、ウクライナの死亡者数は数十万人に達した。 12月21日、スターリンは徴発量の年間割り当て量を決定し、翌1933年1月までに徴発するよう命じた。カガノーヴィチがウクライナに到着すると、翌朝までの会議で徴発目標の達成決議が出された。これは、ウクライナの300万人への死刑宣告を意味した。 12月27日、中央執行委員会は都市住民にパスポートを義務化した。これは、農民の都市への流出を抑制させて都市の負担を軽減すること、そしてクラークによる犯罪の撲滅を目的とした。この国内パスポート制度は、比類なき国家全体主義をもたらし、新しい農奴制の基盤を提供した。 無許可で農村を去った農民は「富農」であるとされた。農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛りつけられた。
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