スターリン主義時代
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「ブルガリア人民共和国」の記事における「スターリン主義時代」の解説
第二次世界大戦の終結後の1946年、国民投票により王政は廃止され、ブルガリア人民共和国が成立した。首相にはスターリン主義者であるゲオルギ・ディミトロフが就任し、1949年7月のディミトロフの死までその体制が続いた。1949年のディミトロフの突然の死に関して、これは偶発的なものではないとする疑惑があるが、それを裏付ける証拠はない。彼の死は、1948年のスターリンとチトーの断交とチトーのコミンフォルムからの追放後に起こった「チトー主義者狩り」との関連が疑われている。チトー主義者狩りは激化し、副首相のトライチョ・コストフ(Трайчо Костов / Traicho Kostov)の処刑へと至った。首相のヴァシル・コラロフ(Васил Коларов / Vasil Kolarov)は1950年に死去し、代わってヴルコ・チェルヴェンコフ(Вълко Червенков / Vulko Chervenkov)が実権を握るようになった。 この頃から工業化が加速し環境破壊が進んだ。農業は集団農場化され、農民による反乱は鎮圧された。終戦から1953年のスターリンの死までの間に、およそ1万2千人が強制労働収容所で死亡した。ブルガリア正教会の総主教は修道院に軟禁され、教会は国家の統制を受けた。1950年にはアメリカとの外交関係が断絶した。ギリシャならびにユーゴスラビアとの領土問題が再燃した。 ここにいたるまで、共産党内におけるチェルヴェンコフの支持基盤は脆弱であり、その守護者であったスターリンの死後は政権を維持することはできず、スターリンの死から1年後の1954年3月、ソビエト連邦での新政権の誕生とともにチェルヴェンコフは共産党書記の座を追われた。代わって権力を掌握したのはまだ若いトドル・ジフコフであった。チェルヴェンコフは1956年4月まで首相の座には留まったものの、その後はアントン・ユゴフ(Антон Югов / Anton Yugov)に取って代わられた。
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