ウクライナ共産党とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ウクライナ共産党の意味・解説 

ウクライナ共産党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 09:37 UTC 版)

 ウクライナ政党
ウクライナ共産党
Комуністична партія України
ウクライナ共産党のロゴ
一等書記官 ペトロ・シモネンコ英語版
二等書記官 イーゴリ・アレクセーエフ英語版
議院代表 ペトロ・シモネンコ英語版
成立年月日 1993年6月19日
解散年月日 2015年12月16日(裁判所による解散命令)
本部所在地  ウクライナキエフ
最高議会
0 / 423   (0%)
(2014年11月27日[1]
党員・党友数
11万1千
政治的思想・立場 共産主義[2][3]
反資本主義[2]
民族主義[2]
マルクス・レーニン主義[3]
親露
左派ポピュリズム[4]
機関紙 Газета Комуніст[5]
シンボル 赤・白
公式サイト КПУ Официальный сайт КПУ
テンプレートを表示

ウクライナ共産党(ウクライナきょうさんとう、ウクライナ語: Комуністична партія України)は、ウクライナ共産主義政党。指導者はペトロ・シモネンコ(共産党中央委員会一等書記)。

歴史

2015年の非合法化以前に使用されたKPUの旧ロゴは、鎌と槌が描れていた。

1918年ロシア共産党の一派として創立。その後、ソビエト連邦共産党の一部となる。ソ連時代中、ウクライナ共和国政権を独占していた。1990年ウクライナ最高議会選挙で第一党となるも、1991年にウクライナが独立を勝ち取ると非合法化された。1993年ドネツクで行われたウクライナ共産党大会において、シモネンコらにより再び創立された。

ソ連崩壊のウクライナ経済の低迷とハイパーインフレを背景に1994年ウクライナ最高議会選挙1996年ウクライナ最高議会選挙でも第一党であり、特にウクライナの東部・南部を中心に支持率を得ていたが、2002年ウクライナ最高議会選挙では第3党となった。

2000年にはレオニード・クチマ大統領を支持していたミハイロ・サヴェンコらが離脱してウクライナ共産党 (革新)ウクライナ語版を結成した。翌2001年にはオレクサンドル・ヤコヴェンコらが離脱して労農共産党ウクライナ語版を結成した。

2007年ウクライナ最高議会選挙に参加して当選し27議席を獲得した。社会主義の他にロシア連邦との協力やロシア語国語化などを唱えている親露派でもあり[6]、同じ親露派の地域党と手を組んでヤヌコビッチ政権の与党となった。2012年ウクライナ最高議会選挙では32議席を獲得している[7]

2014年ウクライナ騒乱による親欧米政権の誕生に伴い、共産党の議会内での立場が苦しいものとなり、親欧米諸党派は共産党を議会から締め出すよう提案し、2014年7月24日オレクサンドル・トゥルチノフ最高議会議長が共産党の議席を没収することを勧告、同日をもって共産党は全議席を失った[8]

2014年10月26日に行われたウクライナ最高議会選挙に参加したが、議席を得るために必要(阻止条項)な5%以上の得票率を得られず、議席獲得はならなかった。

2015年4月にウクライナの脱共産主義化推進のため「共産主義・ナチズム宣伝禁止法」など4つの法律が成立したのを受けて共産党は一切の政治的権利を剥奪され、同年12月16日にキエフの行政裁判所により解散命令が出された[9][10](サヴェンコの「革新」、労農共産党も同年9月30日に解散命令が出された)。これに対して共産党は告訴したが、翌2016年1月にウクライナ最高裁判所はこの命令を認めた。これに対して、共産党は欧州人権裁判所に提訴した[11]。共産党はウクライナの行政控訴裁判所にも控訴した。

2019年2月、ウクライナ中央選挙委員会は、「共産主義・ナチズム宣伝禁止法」違反を理由にウクライナ共産党の指導者ペトロ・シモネンコの2019年ウクライナ大統領選挙の候補者としての登録を拒否したと発表した。

2022年ロシアのウクライナ侵攻後の2022年5月16日にはキーウの第6行政控訴裁判所により共産党の控訴が却下され、解散命令を命じた判決が確定した[12]。そして同年7月6日、リヴィウ第8行政控訴裁判所の判決を受けてウクライナ政府はウクライナ共産党を恒久的に禁止し、党の資産は国有化された[13]。ウクライナから分離したドネツクでは、旧ウクライナ共産党でドネツクの地区の責任者だったボリス・リトヴィノフロシア語版によって結成されたドネツク人民共和国共産党英語版が活動していた。指導者のシモネンコはロシア支持の立場をとっていたが、キーウ攻勢最中の同年3月にロシア連邦軍特殊部隊の支援でベラルーシ経由でロシアへ逃亡し[14][15]、ロシアでシモネンコは共産党連合=ソビエト連邦共産党の副議長に任命された[14]

党勢

ヴェルホーヴナ・ラーダ
政党名簿
選挙区数
合計
(全議席数)
増減
政府
得票数
%
獲得した議席数
1994 3,683,332 13.6% 86/450
86 / 450
86 与党
1998 6,550,353 25.4% 84/225 27/225
121 / 450
35 少数派支持
2002 5,178,074 20.8% 59/225 7/225
66 / 450
55 反対党
2006 929,591 3.7% 21/450 N/A
21 / 450
45 連立与党
2007 1,257,291 5.4% 27/450 N/A
27 / 450
6 反対党
2012 2,687,246 13.2% 32/225 0/225
32 / 450
5 少数派支持
2014 608,756 3.87% 0/225 0/198
0 / 450
32 議会外

脚注

  1. ^ Офіційний портал Верховної Ради України” (ウクライナ語). Офіційний портал Верховної Ради України. ヴェルホーヴナ・ラーダ (2014年11月27日). 2019年5月5日閲覧。
  2. ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンク. 2019年5月5日閲覧。
  3. ^ a b Nordsieck, Wolfram (2014年). “Ukraine”. Parties and Elections in Europe. 12 June 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月5日閲覧。
  4. ^ Kuzio, Taras (November–December 2010). “Populism in Ukraine in a Comparative European Context” (英語) (PDF). Problems of Post-Communism 57 (6): 3-18. doi:10.2753. ISSN 1075-8216. オリジナルの3 Dec 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131203003919/http://www.taraskuzio.net/Comparative%20Politics_files/Populism_Kuzio.pdf 2019年5月5日閲覧。. 
  5. ^ Газета Комуніст » Головна сторінка” (ウクライナ語). komunist.com.ua. 11 Nov 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月5日閲覧。
  6. ^ 2012年のウクライナ共産党の政綱
  7. ^ “ウクライナ議会選、与党が第1党の座を守る”. 読売新聞. (2012年11月12日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121112-OYT1T00893.htm 2012年11月13日閲覧。 
  8. ^ Turchynov dissolves Ukrainian Communist Party faction in parliamentInterfax-Ukraine 2014年7月24日
  9. ^ Court rules complete ban of Communist Party of Ukraine
  10. ^ Ukraine bans Communist party for 'promoting separatism'
  11. ^ Kiev has a nasty case of anti-communist hysteri
    Ukraine court bans Communist Party, Daily News and Analysis (17 Dec 2015) 2016年6月21日閲覧。
  12. ^ Ольга Совгиря”. Telegram. 17 травня 2022時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月17日閲覧。
  13. ^ Sweeney, Steve (5 July 2022). “Communist Party of Ukraine banned and all its assets seized by the state”. Morning Star. https://morningstaronline.co.uk/article/w/communist-party-of-ukraine-banned-and-all-its-assets-seized-by-the-state 7 July 2022閲覧。 
  14. ^ a b (ウクライナ語) Biography of Petro Symonenko, Civil movement "Chesno"
  15. ^ (ロシア語) А куда пропал Петр Симоненко? Оккупанты помогли ему выехать, Obozrevatel (12 May 2022)

外部リンク


ウクライナ共産党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/11 14:23 UTC 版)

2002年ウクライナ最高議会選挙」の記事における「ウクライナ共産党」の解説

ウクライナ語:Комуністична партія України、英語:Communist Party of Ukraine1993年結成ボリシェビキ党の後継自任前回選挙1998年)では第一党となった

※この「ウクライナ共産党」の解説は、「2002年ウクライナ最高議会選挙」の解説の一部です。
「ウクライナ共産党」を含む「2002年ウクライナ最高議会選挙」の記事については、「2002年ウクライナ最高議会選挙」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ウクライナ共産党」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウクライナ共産党」の関連用語

ウクライナ共産党のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウクライナ共産党のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウクライナ共産党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの2002年ウクライナ最高議会選挙 (改訂履歴)、2006年ウクライナ最高議会選挙 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS