飢饉の報告とソ連政府の対応とは? わかりやすく解説

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飢饉の報告とソ連政府の対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:22 UTC 版)

ホロドモール」の記事における「飢饉の報告とソ連政府の対応」の解説

1932年春にはすでに飢饉発生しており、ウクライナ農民には一人当たり約113kgの穀物しか残っていなかった。ウクライナ共産党員も餓死報告飢饉の危険を訴えソ連当局にも飢饉報告あがっており、1932年6月にはハルキウすべての地区での餓死報告された。 しかし、1932年6月21日スターリンモロトフ人民委員会議議長首相)は、ウクライナ共産党宛てて穀物提出計画からのいかなる逸脱許さない」と通達した。共産党新聞プラウダは、ウクライナへの不満をしきりに報じ1932年7月にはスターリンがふたたび770トン供出命じた。 同7月ウクライナ共産党第3回大会でミコラ・スクリプニク(英語版)、チュバーリ、コシオールらは苛酷な徴発ウクライナ農業破壊しているため、穀物徴発計画の見直し党中央本部上申したが、無視されたり、またそのような党に逆らう意見は「ブルジョワ偏向」だとして断罪された。モーロトフは未来対す計画非難することは「反ボルシェビキ的」で、「党と政府決めた仕事完遂することになんの譲歩も、なんの躊躇あってはならない」と反論したウクライナ共産党R.テレコフが1932年ハリコフ惨状訴えると、スターリンは「飢饉作り話をするなら作家になれ」と回答したスターリン非公式に飢饉認めたともされるが、計画通り穀物徴発続けるよう命じた。なお、ロシア内戦の際、1921年ウクライナでは何十万人餓死したことをスターリン知っていたので、飢饉回避する考えスターリンになかった。 スターリンモロトフカガノビッチらは、飢饉の原因について以前クラーク穀物隠していたためと説明してきたが、ウクライナでの飢饉の原因ウクライナ人にあると主張したスターリン飢饉の原因農業集団化政策でなく、ウクライナ農民が「めそめそ泣いてソビエト国民混乱させていると不満を述べたうえで、カガノーヴィチモロトフなどの忠実な盟友に「ウクライナ不穏分子叩き潰せ」と命じた1932年7月ハルキウでのウクライナ共産党中央委員会総会における現地飢饉報告に対してカガノーヴィチモロトフモスクワ特使たちは報告者を黙らせた。他方8月11日スターリンは、カガノヴィッチに「われわれはウクライナを失うかもしれない」とも吐露した。 1932年夏にはカザフスタンでも100万人が餓死した

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