飢饉の終息
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「飢饉の終息」の解説
1922年9月27日、「新規の収穫に伴い、飢饉の先鋭化は停止した」という理由により、「飢饉後遺症(ポスレゴロダ)特別委員会」を設置することが決定された。代わりに、全ロシア中央執行委幹部会によって、飢饉の援助機関である「ポムゴル中央特別委員会」の活動は1922年10月15日に終了することになった。公式な飢饉終息宣言である。しかし、実際には、1923年4月になっても、飢饉罹災16県に飢餓民550万人が登録されていた。 コンドラシンは、1922年にヴォルガ地方の農民運動が終焉したのは、ソヴィエト国家の新政策が、農民の利益を十分に満たしたからだとする。 石井規衛によれば、1922年は天候が順調で豊作となったこともあり、農村に避難していた労働者が夏に都市の工場にもどりはじめ、この時から急速に経済は上向きになり、戦前の水準に近づくこととなった。
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